FORGOTTEN NIGHTMARE
OLD DIARY
2014/10/24〜2016/10/28まで不定期掲載していた日記です。
この時期、一切のSNSを利用していなかったので、
これが外世界への唯一の日常の出力でした。
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この世で見つけた、一番意味のある事。 2016/10/28
皆様いかがお過ごしでしょうか。
9月、そして10月は修羅の如き時が過ぎていきます。
そうです。
KAWASAKI HALLOWEEN 2016
今年も参加致します。
今回、仮装自体はシンプルなものですが、
全体的な質感のクオリティをアップし、
作り物っぽさを極力減らす努力をしたつもりです。
また前々から常々やりたいと感じていた、
「声の仮装」と「振る舞いの仮装」も徹底する所存です。
全ては心から愛する存在を本物にする為に。
当方、会場から550km程離れた遠方ですので、
明日の朝、新幹線にて一足早く日本一のハロウィンタウン、
川崎へと向かい前泊し参加致します。
前回、前々回の幾多の反省を踏まえ、
細かいマナーに注意を払い、人間の皆様に迷惑をかけぬよう。
また少しでもハロウィンという最高の日が楽しくなるよう。
悪夢を司るモンスターとして、持てる限りの力を使いたいと思います。
今回公式企画もございまして、良い機会だと思い、
不慣れ、不得手ではございますがSNS、Instagramを始めました。
こちらも出来る限り、頑張りたいと思っております。
それでは、今年もよろしくお願いします。
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「さあ、踊ろうぜ」 2016/08/21
"人生を変えた一冊の本"。
何とまあ、ありふれて陳腐な定形文でしょうか。
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私は拙くも、時々趣味で小説を書いたりします。
長編になればモチベーションが途中で揺らぐもので。
そんな時私は、ネット上の様々な記事をだらだらと読み漁ります。
中には必ず、私の過去を抉り、憎悪の炎を再燃させるような。
そんなものが混じっているものです。そこで私は、
「文章がこれだけ強い感情を呼び起こしたのだから、
私の綴る文字もまた、これだけの力を持ち得るはずだ」
こう考えて活力としていました。
しかし、それはランタンや松明の火のようなもので、
いつかは燃え尽きて消える、一時のもの。
「頭上に毎日輝く、太陽や月に成り代わるような力は文章にはない」
それは文字の力のみならず。
「ありとあらゆる他者の働きかけは、私の芯へと響くことはない」
それが私の実感であり、考えでした。
私が今生きている人生の形は、
世に出回り知られる人生の形とあまりにも異なっていて。
自身を語ろうとするならば、まず他者からの
「なぜ?」
という疑問符にひたすら答え続けなければならない。
その生き方の中で、私が誰にも伝えずに固めてきた信念。
それらは私の覚悟ですが、到底他者に受け入れられはしない。
大きな誤解を呼び、それは私の生きるこれからの道の妨げになる。
そう信じて今日までそれを芯の内部に隠しておりました。
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事の起こりは2日前。
私は来る10/30のハロウィンパレードの為に、
衣装に使う生地や、現地で使う小道具を買い漁っておりました。
ふと立ち寄った書店。自己啓発本フェアの棚に大量に飾られていた話題の書。
「嫌われる勇気 自己啓発の源流アドラーの教え」
昔から文章を読むのがただ好きで。
それに嫌悪を覚えない限り、あらゆる本は目を通したくなる性分で。
タイトルにシンパシーを覚え、何時もの様に目次に目を通し。
そして一番私の"憎悪"に火を灯しそうな場所だけを試し読み。
・・・普段なら、そこでほくそ笑んで本を戻して忘れるのですが。
憎悪を呼び覚ますどころか。
私の隠した信念が鏡で写したようにそこにありました。
普段、啓発本など見向きもしない私なのですが、
なんとなく忘れられず、買って読み始めました。
読み終えたその衝撃たるや。
私が隠していた漠然とした信念。
風が吹けば飛びそうだったそれを、
がっちりとレンガで固めてくれたような感覚。
私がどこかで感じていた"それ"は、間違っていなかったのだと。
そして、私が絶対に導けなかった、私の根本をも揺るがす考え方。
「トラウマは、この世に存在しない」
永遠に消えぬ、縫えぬ傷が確かに感じる痛みは自ら選択して作り出すという考え方。
そして「怒り」という「手っ取り早い解決策」を振り回す為に、
「怒る条件を自ら探している」
という考え方。
こんなものを信じたら、私の半生は道化だったとすら言える理論ですが。
それを私は信じ始め、今までにない相当な開放感を感じています。
私は本当に捻くれ者でして。素の私を知る古い付き合いの親友達ならば、
もしかしたらこんな事を言い出す私を本物かどうか疑うかもしれません。
それでもこの本には、私が信じていた生き方のこと。
それを提唱したアドラーという心理学の偉人が居た事。
私がこれからすべきこと、振る舞い方。
目指すべきたった一つの目的。
全てがありました。
「どう振舞えば、上手くやれるだろうか」
「私は何をすべきなのだろうか」
「過去の傷の痛みから長い時間抜け出せない」
等、私のような事柄で悩んでいる方には心からお勧めしたい一冊です。
これから、誰かに私の人生観について問われることがあったなら、
迷わず、何も言わずにこの本を差し出そうと思っています。
読みやすさも私以上の捻くれ者である青年と、
哲人の対話として書かれている為、自然に頭に入ります。
また青年の捻くれっぷりがとにかく尋常でなく、
全編に渡って哲人を論破しようとあの手この手で切り込む為、
こういった本によくある
「読み手がまだ半信半疑なのに、飲み込んだ事にして先に進む」
といった事がほぼないのも素晴らしいと思いました。
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そしてこの本の真に面白い所は、読んだ後で周りを見回すと、
多くの事柄がある種、鼻で笑う程にくだらなく思えてくる所。
例えばこの記事の冒頭の部分は、アドラー心理学で考えられている、
「自ら人生をわざわざ複雑で不快なものに仕立て上げている」
考え方そのもので。
私はたった一つのすべきことを。
踊るように続けるべきなのです。
「さあ、今日も踊ろうぜ」
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「ご主人様!? 読書の感想を述べるだけでなく、誰かに薦めるなんて気でも狂われましたか!?」
「これが共同体への他者貢献になればいい」
「それ魔術書ですか!? クラト・ベラタを唱えましたか!?」
「哲学とは、思っていた以上の良薬なのだな」
「普段哲学どころか、新聞だってまともに読まないじゃないですか!?」
「新聞を読まなかったから、啓発本を読めないとは限らないし、それは原因論だ」
「憎悪と狂気に塗れて、暴力性の化身たる私を世界へ向けた怒りのままに産み落としたあなたが何てザマなんですか!?」
「人は変わるさ、変わろうと思えばその瞬間に」
「ひと!? ご主人様は憎悪のあまり人間やめて半猫半悪魔の化け物になったのではなかったのですか!?」
「私は人ではない、という逃げを打って人生のタスクから逃げていたのさ」
「にゃわわわわわ・・・ これでは最悪私や世界の存在意図がなくなって・・・」
「"行為"に価値はない。ルルがいる。その"存在"に価値があるんだ」
「とても良い言葉ですがご主人様が言うとそのなんていいますかあのう゛わあ説得力が」
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妥協を許さぬという妥協、未熟という免罪符 2016/07/30
前回からもう20日が経過していました。
3日に1コマ程のペースで、数十コマの作品を作ろうとしております。
"夢の中で1、2を争う、出来れば近付きたくない淑女"、グラトニア。
「妥協を許さず、丁寧に積み重ねて描いている」
そう褒めたり、自惚れるのは簡単でしょう。
ですが私にはハッキリと見えております。この行く末が。
世に出されぬ最高傑作は、凡百の駄作の踝にも満たぬもの
幾ら丁寧に、時間を掛けて作っても、完成させなければ作品にならない。
こうして、誰にも見取られぬ作品をどれだけ腐らせて来た事か。
恐らく今に巡る業が私に戻る頃でしょう。見殺しにした作品達の慟哭が。
次に生きたまま風化して、死にもせず消えていくのは私自身でしょう。
このままではなりません。
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昂る意思、焼付く感情、怖がる指先 2016/07/11
ブルーベリー色の屍娘が姉のミミル、マスカット色の屍娘が妹のエミル
遂にこの時が近づいてまいりました。どれだけ掛かったのでしょうか。
7月8日に見た夢がシンプルでも私の夢"らしい"ものだったので。
長らく構想していたスタイルで、私の夢の世界が形になり始めました。
これこそが私の存在意図。この世界こそが私の本当の世界。
今まで、様々な道を目指しました。私の世界を表現しようとして。
でも私にとって今までの全ては失敗でした。それがどれだけ評価されたとしても。
皮肉にも今までとった表現方法の中で、最も"拙い"のではないでしょうか。
それこそが今までの私の傷であり血の流れた跡。私は永遠に完璧にはなれません。
私は一度壊れた物。もし完璧になれたとしても、なる気もありませんが。感情の美化と同じくらい、
自身をサナギに例えていつか蝶になれると語るのも私にとっては忌々しい事柄。
明日私の手が動くか、目が見えるかはわからない。今日会えた誰かにもう一度会えるとは限らない。
「練習」なんてものはこの世界にない。今あるもので、「遺作」を作り続けるほかないのです。
運よく明日が来た分だけ、死に損ねた分の経験で、人生何回分の経験を引き継ぐだけなのです。
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こうしていかに意思が昂っても、ない血液は流れない。
一日に描ける範囲は僅かしかなく、また昂り過ぎると感情が焼けて焦げ付いていく。
私がこの世界を作り出したきっかけとなる感情が再燃してくるのを感じます。
消えたはずの時間軸が、最早事実か被害妄想か解らないリアリティで這いしてくる。
もう存在するはずがないのに。焼け爛れた顔はもう誰だかわからないのに。
"そいつらは火葬場の重い鉄扉を押し開けて、バーナーの炎を背にミディアムレアで私に迫り来る"
"燻って炭化し、真っ赤な置火を孕んだ骸骨の腕が私の心臓を抉り出さんとする"
恐らく、こちらの世界で最も不毛な感情が私の外殻すら溶かしにかかる。
飲まれては私よりも世界が危険だから、私は目を閉じて耳を塞ぐのです。
いつしか全ては同じものになってしまったけれど。
私にはこの世界とその世界と、どちらの世界の区別も最早ついていない。
よく見る警告文章。それは鑑賞への対価。だから私は見ない権利を使うほかない。
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敵はもう一人います。それは前にも書いた「創作への恐れ」。
それでもどこかで、私はもっともっと成長できるのだと。
まだ歯が生えそろっていないのだと思い込んでいるのでしょう。
これだけ否定しても。「これはまだ本当の自分じゃない」ならば、
本当の私なんていつこの世界にいたのでしょうか?
それは私が数年かけて描いた私の中の私、
フェリエッタという存在と同じもの。彼が本当の自分でないとしたら、
一体私は何をどう自分自身だと思いこめばいいのでしょうか?
偽者の自分と本物の自分の境目はどこでしょうか?
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こうして真っ赤に焼付いた思考の中で私の世界へと行けば。
こんなにも可愛いらしい者達がどこからか迷い込んできて。
可憐な"彼"は旅人だそうで、様々なオリエンタルな世界の話をしてくれました。
虎なのかリスなのかは聞きそびれ不明ですが。
こんなもの、記憶の断片が生み出したエラーであることは明らかです。
でも、私はそれを楽しみにしているから、まだ意味を感じるのです。
私にとって、
「生きるとは、無意味の中に意味を定義する事。」
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今週中にでも、私の夢へのゲートが開けたらいいな。
これこそが私の生きる意味なのですから。
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多数決で定義されし不幸と自身が定義したただ一つの快楽 2016/07/02
一日中寝込んで人間として今日をふいにしたとしても、
昏睡の中に彼女が来てくれた今日は私にとって最上の快楽。
もう何年前でしょうか。彼女が私の夢に訪れたのは。
あの日と同じように彼女の感触を脊髄の中身でそのまま味わう。
操作状態にある夢の中での感覚は、五感を通して減衰していないもの。
現実と呼ばれる世界では、日に日に劣化していく五感を通した感覚のみ。
例えば度の合ったコンタクトを新調すると、いかに「目」が劣化していたかに気が付きます。
同じように「感動」や「恐怖」も。心動かした映画もやがては見慣れる。
恐ろしくて直視できなかった物も気が付けば傍らに転がっている。
今日触れた彼女は、十数年前と何も変わらない。
感情の外で、どこかそれよりも深きもので触れ合っている。
彼女は私の全てを壊し、身代わりに傷つき、
そして私と共に存在し続ける。
ああ、この素晴らしさが私以外に解らないなんて。
こんなにも美しい何かを私以外が解らないなんて。
この美しい世界に誰も招待できないなんて。
そう思ったのが、私の創作の始点でした。
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一部切れていたのを修正しました。
このクセの強いページ作成ソフトにも多少慣れてきました。
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獣として獣を愛すことを受け入れた故 2016/06/29
人間として明日を繋ぐだけの行動に入り浸ると、
それを誰に評価されたとしてもとても虚しくて。
ここ10日間、私は空虚でした。
「愛とは、結末を受け入れる事」
だと私は信じます。
彼女、私のルルだけを愛した時から。
最初からその結末を理解しているのです。
決してそれを楽観することなく。
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一部サイト内のリンク切れが起きていたのを修正しました。
また、恐らく日記のページ容量が大きくなっていたので、
DIARY下部に過去の記事をまとめました。
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