FORGOTTEN NIGHTMARE










忘れも出来ぬ6月の20日 2016/06/20


近頃は目も霞むようになったが・・・

あの記憶だけは色褪せない・・・

6月20日、破れた映画の半券、自販機からアクアコーラ・・・

だが最も忘れられないのは、


   MAD

   MAX

FURY ROAD

マッドマックス : 怒りのデスロード


という、強い映画だ・・・




称賛するも否定するも、誰かの作品を語る時にはそれなりの責任が付くもの。

どんな作品も、例外なくそれは作者の血が通う生き物。

過去の経験からも私はそう思っているので、良くも悪くも

作品というものを無責任に語るのは私は出来るだけ避けております。


しかし、この作品。「マッドマックス:怒りのデスロード」だけは。

歯にスプレーを吹き付けてでも語る価値のある作品だと心から思っております。


去年の今日、片手で数える程しか映画館がない私の県内でも

「マッドマックス:怒りのデスロード」が上映開始されました。

初日第一回の映画館内は、他の大作アクション映画の上映で座席が20%も埋まらないような

アクションに無関心なこちらでも相当に混み合っていました。

上映が終了し、明るくなった館内を見渡すと放心状態で座ったままの20代位の4人組、

「もう一回見よう」と第二回のスケジュールを確認しだすカップル、

そして、しんしんと涙を流す70代位の男性の姿。目に焼きついております。

震える足を引きずる私は口開けっ放しで見ていたらしく、熱くてカラカラの喉を癒すため、

自販機から普段絶対に買わないミネラルウォーターを買い、思い切りラッパ飲み。

アクアコーライズエクセレントクーラァ。


元々、マッドマックスを知ったきっかけは昨日の日記にもあったトイガンでした。

2連発、存在が凶悪でお世辞にも洗練されていない等の理由から、

映画では撃って一瞬で捨てられる扱いの多いソードオフショットガン。

そんな銃を最初から最後まで主役として大事に持ち歩く映画がある。

それでマッドマックス2を知っていたお陰で、この歴史的マグナムオーパスを

初日にWITNESSすることができたのです。

実は"マグナムオーパス"もゲーム版MADMAXを調べた時に知った言葉だったりします


この映画をとことん語るなら、もう一つサイトが必要になるでしょう。

何よりも私の心を打ったのは、最初は敵対している彼の存在。


「俺を見ろ」


ニュークス。余命僅かで立つこともままならぬ程衰弱した、輸血に頼りきりの戦士。

彼は生まれつき短い寿命が来て「ソフトに死ぬ」前に、偉業を成したいと死に体で出撃します。

捕らえた主人公を輸血袋として無理矢理愛車に縛りつけて輸血しつつ。

最初に公開された映画の写真に映る彼を見た時、とても純粋な天使のように見えて。

そして予告編で見た「輸血しながら戦えばいい」の一言は私の中のニトロを点火しました。

運転中にハンドルを外す、一輪死んだ車で真正面から竜巻に突入する等、基本的に無謀。

中でも戦友達が目の前で凄まじい空中爆死を遂げ、次は自分がそうなる番だと悟った瞬間に

「OH WHAT A DAY!!! WHAT A LOVERY DAY!!!」

と190%の笑顔で叫び、火炎放射器並のニトロで敵に突っ込む彼を見て心からV8を感じました。

他の作者様の作品のファンアートも普段は畏れ多いのですが、この作品は歯にスプレーを(以下略


私は大体マックスと同じものが見えていて、

ニュークスと同程度に虚弱なので他人とは思えず。

こんなにも、作品のキャラクターに共感を感じた事は今までありませんでした。

この映画は私の全てを肯定してくれるような、無言で親指を立ててくれるような作品で。

最早死んだほうがマシな程の世界で、無意味に生きる事の意味をくれるような。

私にとって、ただのアクション映画ではないのです。


そして忘れられないのは去年のカワサキハロウィンにて、

マッドマックスショットガンをぶら下げ本気のモヒカン刈りという物凄く気合の入ったウォーボーイの方に、

声をかけて頂き、写真まで撮って頂けて、こちらの仮装のテーマも忘れ思わずV8を称えた輝かしい記憶。

最高の思い出です。本当にSO SHINY SO CHROMEWHAT A LOVERY DAYでした。


そういえば、そろそろ今年もハロウィンの準備をしなくては。

毎年毎年、2ヶ月前にだらだらと準備を始めて最終日前夜に完成するようなペースなので。

今年こそは演技や小道具にも十分に凝って、聖なる日の20周年を祝いたいです。




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銃弾性愛伯爵の銃談義Vol.1 2016/06/19


「趣味」と「特技」と「執着」。

十把一絡げにされやすい似て異なるもの。

私の偏見と独断による思い込みでは、


「特技とはそれが好きとは限らず、それに意味があると信じるとは限らないもの」

「執着とはそれを時に憎み悩まされても、意味があると本能で感じ離れられぬもの」

「趣味とはそれに意味を感じなくても、それをしているだけで満たされるもの」


と思っております。


私の執着は創作活動。時に生みの苦しみに生命ごと諦めたくもなる。

特技は昔はビデオゲームと呼ましたが、もはや昔の腕を見る影もなく。

先日、とある2004年の対戦ものをプレイしましたら、索敵するために視点を廻しているだけで頭痛を覚え。

信じられない位のポリゴン酔いで丸二日寝込んでしまいました。

"最早戦場に立ってもいられない程鈍ったのですね"

「2Dの奴ならまだいけるさ、2Dなら・・・」

そして私の趣味は、銃弾性愛(バリストフィリア)の読んで字のごとく、銃です。

体力がないのも災いし、本物とは未だ全くの無縁ですが、銃の出る映画も、銃のコントローラのゲームも。

特にトイガンをレストアしたり調整している時間は川のように心地良く流れ落ちて。

中でも"水平二連式改切詰め散弾拳銃"、「ソードオフダブルバレルショットガン」はまさに至宝。

何がきっかけだったかは思い出せませんが、気が付けば夢の世界でそればかり愛用していて。

銃はこの世界に星の数ほどありますが、自身の中でのマグナムオーパスはそれ一挺に他なりません。

ですがこの銃種、困ったことにトイガンとしてモデルアップされたものが少なく、

数える程しか今日まで発売されておらず、故にどれもレアでプレミアが付き高価で入手難。

それでも、安価な玩具や日本未発売のものも入れれば10種程は存在します。

それらはスポンジ弾の玩具や音の鳴るおもちゃ等、本当にどこでバッタリ遭遇するか見当もつかぬ物。

それ故私は買出しに出かける時、いつ新たなマグナムオーパスに出会ってもすぐお迎えできるよう、

気持ち余分に予算を持っていくのです。まずそれが役に立つことはないはずなのですが。


ところが昨日、最寄のド○キホーテに買出しに出かけたとき、"それ"は水遊びコーナーにありました。


  

・・・ヴワアォ!!!

オーバー&アンダーのダブルバレルショットガンの水鉄砲です!!

遭遇した時、思わず声が出ました。

何せ知る限り、上下二連式散弾銃のトイガンというものはこの世に3つしか存在せず、

またどちらも非常に入手難な代物だからです。

一つは海外Buzz Bee社のスポンジ弾を発射する日本未発売の玩具銃、

もう一つは30年以上前のアーケードガンシューティングゲームのガンコン部分。

そしてもう一つは海外の高級玩具ブランドの猟銃を模したもの。

まさか歩いて行ける範囲でコイツに出会えるとは。生きていればこんな楽しい日もたまには来ます。

"安い命ですね"

「980円」

"悪魔に魂をワゴンセールしないでください"



トリガーはモールドの飾りで、先台部分をポンプアクションショットガンのように

前後させることで中のピストンが動き、水を連続で放水するシンプルな仕組みです。

下のバレルにピストンを動かす為の横穴が開いているのは若干残念な所です。

ノズルは上下両方のバレルにあり、3つの穴から一応散弾のように飛ぶようです。

(水を入れるつもりは今の所ありませんが)




上からこのアクアシューターハンター、中央がトイザらスのダブルバレルショットガン(千円台だったと記憶しています)、

そして一番下はダブルバレル系トイガンでは最高級品となるマッドマックスショットガン。まともに買えば数万のレア物です。

この銃は特定のモデルがあるわけではないようですが、実物大で機構も可能な限り再現している至高の品です。

(ちなみに4挺のジャンク品を合成し、底板には私の名前が彫りこまれているというとても趣味の悪い逸品です)

マッドマックスはストックと銃身をカットしたモデルですが、こうして比較すると、3挺ともほぼ実物大なのがよく判りますね。


そういえば最近のビデオゲームや映画等では、水平2連よりもこちらの上下2連のショットガンの方が増えている気が。

塗装すればかなり化けそうなので、ハロウィンで使う小道具を探している方にも是非お勧めできる一品だと思います。

中折れ改造、ソードオフ等、構造が単純なだけベースガンとして考えてもとても楽しいものです。

何せ千円ですから。3万のモデルガンに比べたら、万一失敗してもさほど惜しくありません。


"ああもう、何でまた1挺増やすんですか? 腕は2本ですよ?"

「シッポで持つんだって、シッポで・・・」




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光ではなく、目には眼を。 2016/06/14


即応性、ランニングコスト、扱いの容易さ、待機時間が存在しない。

油性色鉛筆とシャープペンシル、無地ノートやルーズリーフ、

インクジェット紙等、画用でないただの紙の組み合わせ。

私にとっての3種の神器そのもので、気付けば10年近くこれだけでやっています。

手軽な故に様々な弱点もあり、また私が目指すとする世界観に向いていないのも事実。

タッチ自体が柔らかく毒々しい表現が苦手、混色が難しい等。

中でも、絵を始めてからずっと抱えていた問題がありました。

それは「画像の白飛び」。

少しでも鮮明な画像を取り込むため昔からスキャナを用いていたのですが、

色合いが淡く、また紙の地色にも頼る色鉛筆画をスキャナで取り込むと、

取り込み時のライトで紙が完全に真っ白になってしまい、元の色合いが死んでしまいます。

それを防ぐために画像編集ソフトでコントラスト調整をしていましたが、そうすると絵の空気が乾いてしまうのです。

そんなジレンマの解決策を遂に発見しました。



100円ショップで買った卓上イーゼルに、かさ上げと滑り止めを兼ねたコルクシートを貼り付けたものです。

こうして描いた絵を立てかけ、スマホに付いている侮れない性能のカメラで撮影すると・・・




下のスキャンした画像と比べ、私が目で見て描いている色合いとかなり近くなります。

目には目を。アナログにはアナログを。追い続けた答えがこんな所にあるとは。

既にアップロードされている絵もこちらの方法で再アップしていきたいと思っています。



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one simple emotion 2016/06/09



「マシじゃなくなりゃ、すぐでも行くさ。でも今はまだ気分じゃない」

"人食いの肉食獣と歩く死体に抱きつかれてマシですか?"

「人食いと死体じゃなきゃダメだ」

"ルル姉さまは干したシーツの匂いがするの!!"

「幾分正気よりもマシだ」

"狂気を狂気で上塗りしてマシですか?"

「正気で死ぬ悲惨さとどこにも大差ないさ」

"フェル兄様は砕けたアスファルトとインクの匂いがするの!!"

「これが幸せかもしれないね」

"にゃふふっ、愚かさを受け入れますか"

「これならば、幾らでも」

"イギヒヒッ!! 兄様と姉様で溶けたシャンデリアの匂いになるの!!"





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ゆるいもの 2016/06/04


作品は、作らなければ出来上がりません。絵は描かなければ完成しません。

書くには集中とアイデアも必要ですが、私には何よりも必要と感じるものがあります。


「失敗を受け入れる覚悟」です。


絵も人形も衣装も、あらゆる「作る」行為には必ず「作品の完成度」という結果が付きまといます。

それは言い逃れも責任転嫁も出来ない、イコールそのままの今の自分の腕前、まさにそれの数値化。

何も考えず、戯れで作ったものがずば抜けて評価され、それを超える為計算に計算を重ねる。

ありとあらゆる事を考え抜いて導き出した、完璧なはずのロジックが時に完膚無きまで否定される。

それは誰からでもなくて、完璧だと思っていた自分自身に自分の知識や思考を全否定される。

昨日描いたものを超えられなくては、後退した自分を認めることになってしまう。

そう考えると、自分との戦いを放棄してしまった方が絶対に楽でしょう。

私もそれで、よく白紙を前にしてそのままそれを白旗として振ってしまうのです。


そんな時私がするのは、最初からとことん下手でひどい、手を抜いたものを描く事。

手抜き、塗り無し、棒人間、なんでもあり。とにかく手抜きに手抜きを重ねそれを競いすらもするのです。

そうして完成すると、意外と上手くいった場所があったりして。

自分に負けても退化して振り出しより前に戻ったとしても、作らなければその世界は動かない。

描くこちらが後退していっても、作品の中の人々は少なくとも前へ歩いていき、時計の針は廻る。

私の目的は「死ぬまでに私の中の世界を残す」事なので、私はそれでいいのです。


という事で、本日仕上がったのはひどすぎる絵本です。

私は前々から絵本を作りたく四苦八苦しておりましたが、

まさかこんなものが最初に完成した絵本だとは。

このサイトを作るにあたり、謎めいて気味悪く、クールな創作者を演じていましたがそろそろ限界のようです。



   どうわ きんのるるにゃん






AH YEAH SWEET.

そのうち、絵本メニューを作りたいと思っています。


"・・・これ、ご主人様が疲れるといきなりブツブツ呟き始める戯言じゃないですか"

「そうだとも」

"う゛わあ"



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絶望に見出した幸せ、それ故幸せの絶望感 2016/05/31


この頃ほぼ毎日更新できておりましたが、気づけば12日間こちらから離れておりました。

自由が利かずにすぐ身体にガタが来る方の世界で、様々楽しいことをやっておりました。

浜辺でビーチコーミングをして、色々と興味深い"忘れられた"漂着物を眺めたり。

天気につられて多少無茶をして、いきなり遠出してみたり。

不思議なもので、無理をすれば多少は無理も利きやすくなったり。


その一方、どうにもならぬ焦燥感、絶望感が沸き立つのも確か。

何も創らずに楽しんで流れた1日の分、私が遺せるものは減っていく。

私がこちらで楽しくなればなるほど、私の愛するモノ達は薄れていく。

もしもあまり楽しい日々が続いてしまえば、私の夢は消えてしまうのではないだろうか。

そんな言いようのない恐怖も感じています。


じわじわと迫り来る、視界を覆い尽くすタンカーの船体のような絶望感と、

じりじりと脳幹を焼き焦がすような行き場のない怒り、そしてタナトス。

そんな"生"を気楽に、楽しんで死んでいく為に私が見出した世界と愛するモノ達。

生と死、希望と絶望。どこかで私は全てをひっくり返してしまった。

それを改めるつもりは毛頭ないから、まあ戯言なのだけれども。

私にとって幸せとは、愚かさを受け入れる事かもしれない。

一瞬の快楽に溺れて、最後に私を祝福するはずだった、愛するもの全てを見殺しにする愚かさを。




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目を背けるという醜さ 2016/05/19


私は昔から些細な周りの影響を受けやすい。

ほんの僅かなフラッシュバックのトリガーが原因で、簡単な精神の制御が利かなくなる事がある。

今までそれで多くの失敗を積み重ねて来ました。

そこで身についたのは、「見ない自由を積極的に行使する」というものでした。

ほぼテレビを見ないのもSNSをやらないのも、見ない自由を行使しているのです。

それ故、私は閲覧する方にも出来る限りに「見ない自由」を行使できるよう、細かく作品に警告を書いています。

それがネタバレであっても、騙してヴァンパイアににんにくを盛るような卑怯なマネはしたくないのです。

見せて傷つける位なら、見ない自由を行使される方がいい。


ですが。

ここで偽善か。それともエゴなのか。

とある無視してはいけない問題に当たりました。


現在、夢に登場した人物紹介的なページ、「Residents」を制作しています。

前にも書いた通りに、私の世界は見る悪夢のドキュメンタリーの側面も強く、出来るだけ夢に忠実に描いています。

それ故、顔自体や姿自体が一般的にはショッキング、グロテスクとされる人物も大勢出てきます。

致命的な損壊をした死体、蟲類や植物の集合擬態、その他諸々。

そういった登場人物は、事故、事件、生まれつき、理由は様々で、やはりそれなりの重いバックボーンをその容姿に抱えていて。

しかし容姿はあくまで容姿でしかない。その容姿を「グロテスクにつき注意」と呼ぶような事は仮にこれが創作であっても。

夢に集った死者達の痛みを知るはずであり、夢の仲間の理解者のはずの私まで。

そんな世界の不条理をこんな所でまでまかり通すようなマネはできません。

よって、登場人物紹介にはGalleryのような個別警告は設けません。

その人物がメインの作品内に含まれる要素は警告いたしますが、その人物自体の要素についてはその人物そのものとして、

「受け入れて当然である普通のもの」と考えて個別警告はいたしません。

本末転倒かもしれませんが、私は感情の美化というものが好きではありませんので、ある種の自身の醜さを今更弁護するつもりもございません 。

・・・といいますか、私にはどれが一般的にショッキングで、どれがギリギリ許容できるのか最早全く判りませんし。

みんなみんな、私からしたら可愛いから描いているのです。思い切り抱きしめる位愛しいから描くのです。

私が怖がらせるために、敵対しやられる為に描くモンスターがいるとしたら、それは大抵人間達です。


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  もし彼女らを「Graphic Gore-Texx」(ショッキングでグロなテクスチャー)だと呼ぶのなら、

  私の顔にも警告とモザイクをかけようじゃないか。

  それが不適切ならば、それと同じモノなのだから。

  実際、メイク無しじゃとても見られたものじゃないからね。



"所で、人形恐怖症の方が誤ってトップに立ち入った場合はどうするのです?"

「君を可愛いと思わない訳がないだろう、それに美しく撮れた自信の写真だし」

"一昨年のハロウィンにて、数えただけで3人の方が出会い頭に悲鳴を上げて逃げましたよ"

「叫ぶ程の可愛さだっただけだ。私だってたまに叫ぶでしょ、ルルニャーン!!! って」

"花壇で休憩しただけで思いっきりビビられましたけど"

「こんなに美しいマドンナリリィの大輪が咲いていたら誰だって見惚れる、私は半年も壁紙にしたし」

"皆様。この通り、私の主人はこういう感覚が完全に破綻した人間もどきです"




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最低限を揃えて 2016/05/15


サイト誕生から3年目にして、遂にギャラリーサイトにギャラリーが誕生しました。

これにてやっと意味のあるサイトになりました。このソフトを使いまして3日間編集した感想は、


OUT THE CLIP 5.56 BURSTFIRE HIP HAVOC


ラァダダッ!!! ラァダダッ!!! ラァダッ! チッ、カチャコッ、チャッカッ、ラァダダッ!!!ラァダダッ!!!

「う゛ぉるふしゃあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」


以上です。チャンバークリア。あー超いい天気。

"裏庭の薬莢誰が片付けるんですかもう"


正直言いまして値段以外考えずに3年以上前に購入し、今までロクに使ってなかったのですが。

初心者向けとはいいますが、ここまでに初心者向けだとは思っていなかったという私の考えの落ち度でした。

私はどこかで「初心者向け=シンプルで限定的機能」という思い込みがあったのだと思い知らされました。

シンプルであれば融通も利き、限定的故に補う部分は工夫できるだろう、との考えです。

ですが真の「初心者向け」とは、


「見た目はプロと大差なく作れ、細かい所はソフトが全部やってくれる」


というソフトの事だと身を以って知りました。

一見とても良い事のように思えますし、私もそれはいい事と思っていました。

ですがこのソフト、やってくれるのは良いですが、そのやり方がとんでもなく雑なのです。

こういった分野に詳しい方ならご存知と思いますが、webページはftpと呼ばれるフォルダのようなものに収まっています。

使用するサーバーによっては、用意されているフォルダに入れるファイルによりファイルの扱いが変わったりします。

直リンクを禁止したり、ページに使用するスクリプトを入れたりと、音楽フォルダ、画像フォルタのように整理するわけです。

ところがこいつったらば、使用したファイルを勝手にリネームしてコピーし同じ表層フォルダに片っ端から突っ込んでいくのです。

画像を展示するギャラリーサイトなので、当然これからどんどん画像の数は増えて行くと思われます。

またグロテスク、否定すべきテーマを含むような作品が検索サイトで要素説明無しに検索結果に載るのを防ぐため、

インソムニアギャラリーとナイトメアギャラリーはftp内に別フォルダを作り、直リンクを禁止するよう設定しております。

しかしこの作成ソフト、階層設定が私が調べた限り存在せずにどんどん表層フォルダにリンクが設定され、

更に使用するファイルをいちいちリネーム、再圧縮してしまうのでftpフォルダの画像とリンクが外れてしまう上、

テキストエディタで直接編集したhtmlを再読み込みすると強制的に一部が元通り修正されてしまう機能まで付いております。

その為、ソフトで編集→htmlの画像リンクを全部手直し→出力したhtmlを別のFTPツールでアップという手順でやっていますが、

更にwebにリンクした画像にjpgリンクを埋め込めないというのもあり、手直しの為読み込む度に余計な苦労を強いられます。

その都度画像がコピーされpicture_1、picture_2、_3、_4...とリネームされていく為にフォルダが重複画像で膨れ上がります。

いらない手間がどんどんかかっていき物凄くフラストレーションが溜まります。


とはいえ、逆を返せば「FTPとか判らない」、「何でもいいからページ作りたい」という本当に初心者な方々には是非お勧めできる物です。

テンプレート機能も充実しているようだし、FLASH形式のスライドショーも作れるらしいです。

色々とこき下ろすような事を書いてしまったのでソフト名は伏せますが、知識のある方なら知る方法を知っているかと思います。

しかし、あれだけデジタルな物が嫌になって徹底したアナログ創作に拘ったのに、こんな関門で時間を食われるとは。

あまりこういった問題で足踏みすると上記のようにPCをARの的にしかねないので、

時間がかかりすぎるようなら画像へのリンクのみにする等、ページの簡略化を図る所存でございます。




"ところでご主人様はマシンガンと言えばM16ばかり贔屓しますが、私はカラシ派です"

「実を言えばアサルトライフルは重くて長くてどれも苦手なんだけどもさ、トイガンも保有してないし」

"一部の狙撃銃に身長負けますものね"

「流石にそりゃないぞ、負けるのは大戦中製造の対戦車ライフル位だって」

"鉄砲なんて、懐に入るヤツと連射できるヤツと当たった物が吹き飛ぶ奴以外の違いなんかありません"

「ルルは銃に大して興味ないからね」

"だって遠くから殺しても大して楽しくありませんし、味も落ちます"

「サイコめ」

"そんなサイコを頭の中に飼ってるリドルはどこのどちらです?"

「この場合親鳥が先か」

"カラスから鳩ですね"




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Does i† ma††eR aBou† COLORS? 2016/05/11


こちらの所謂現実と呼ばれる方の世界でも、私が好きな方の世界でも。 

私のクローゼットを開けると必ずこういった現象が起こります。


クリックで必要以上に大きくなります


「・・・私のドレスは何処だ?」

黒い服しか買わないので色がないのです。部屋のその他の物も、黒以外の色の物は仕方なくその色にした物ばかり。

そして私の絵にも、意識して色を付けるようにする以前の物にはまるで色がない。全て線画です。

夢には鮮明に色のある物も多く、その場合はそのままの色合いで表現しますが、夢の大半は夜の闇の中。

色は特段光る目くらいにしかなくほぼ白黒のような感覚で、そのままでは「作品として色味が流石に少ない」と思い、

人物や情景をキャラクタライズして色を乗せようと試みるのですが、これが非常に難しい。とりあえず色の才能がない。

最近は仮にも絵を描いたり、作品を作る身としてはある種致命的かもしれない、とすら思っているのですが、

私は恐らく、「色」を愛していないのです。

ありとあらゆる色を詰め込んだ虹のような情景を見ても、心響く何かが私には判らない、と表現したらいいのでしょうか。

それよりも「白と黒に一色のみ」といった表現や、真鍮のくすんだ金色と革の色合いで彩られるスチームパンク的表現、

実写やCGからあえて色を抜いたコミック的表現等、あえて色を殺して少ない色数で描かれた物の方に心打たれるといいますか。

もしも私が色が好きで、色の才能がなかったのなら、色を探す行為は作業とならず探求になるはず。

センスが無くても色を乗せようと試みるはず。今までをふり返ってそれが無い所を見ると、恐らく色に興味がないのです。


とは言いましても、「色」には直感、本能的な感情のスイッチを直接入れることができるという、無視できない力があります。

2014年のカワサキハロウィンにて、本来ならルルの衣装は夢の私服を忠実に再現した黒のドレスに銀のコルセットになるはずでしたが、

前日着合わせをした際、私の髪といい衣装といい、何もかもが黒すぎてどこまでが私でどこからがルルなのか境目が判らなくなってしまい、

予備で持っていた白の色合いが強い格安ロリィタドレス(とはいえこれも白黒)に変更した経験があります。

そのお陰か、カルマ(業)そのものの私のイメージと、対極に位置する清らかなルルのイメージを発揮できたと思っております。

去年のハロウィンのアリスの衣装もリボンや各所の赤色、小道具の輸血パックの赤が特段目立っていたような。

しかし残念ながら、私の作品で特段色の多いアリスの色合いは「夢に出てきたまんま」なので私の力量ではございません。

アリスの服のセンスが私以上によろしいのです。本人はそんな事、微塵も意識してはいないようですが。


そんなこんなでこれより、10年近くも描き続けている過去の作品をとりあえず人物ごとに纏め、

上記メニューの「Residents」-(住民リスト)にアップしていきたいと考えております。

長々と書いた通り、過去の作品は8割が線画です。線画は未完成ではなく、無色の完成作品として展示したいと考えております。




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技術的問題と忍耐力の課題 2016/05/10


技術的な問題がひとまず周回軌道に乗った所で、今度は肝心の創作に関してのちょっとした問題を。

自己紹介にも書いた通り、私の創作は基本的に夢、それも所謂明晰夢として干渉できる夢に登場して、

会話や交流、時には戦闘において共闘又は敵対した登場人物を出来る限り忠実に記録した、

夢で見た物のドキュメンタリー的な色味が強いのです。それでも若干の辻褄合わせと私の嗜好は盛り込みますが。

そんな製作過程ならではと言ったら良いのでしょうか。先日思わぬ難所にぶち当たりました。


クリックで大きくなる機能のテストも兼ねまして


7日に見た夢に現れた、ゾンビの少女です。手足がなく、代わりに鋼鉄製のチェーンを巻きつけているとても素敵な女の子です。

首と胴体も離れていて鎖で接続、開放した腹部にも腸がなく、チェーンをごっそりと収納していました。

暗闇から鞭のようにチェーンを伸ばし、切り裂きや引きちぎりで攻撃する様はあまりにもカッコよく、惚れるがままに書き出そうとして数時間。

一向に完成が見えない。非常に細かい作業で疲労感が違う。そうです。私が鎖を描くのには相当な集中と時間が必要なのです。

彼女は手足首腹部にチェーンを剥き出しで巻きつけているので、武器や装飾として描くチェーンより複雑で尚且つ量が多い。

目撃した通りのアクションを描きたくても、スケッチ一つを書き上げるのにこの時間ではとても何ページも書いていられない。

そういえばアメコミのヒーロー達にタイトなボディスーツや装甲服にマフラーやマントというスタイルが多いのには、

様々なアングルで連続したアクションシーンを効率よく派手に描くために計算されたスタイルだ、というのを聞いた覚えがあります。

彼女の剥き出しのスタイルが好きなのですが、お蔵入りになる前に早く彼女に鎖の収納カバーやケープをプレゼントすべきかもしれません。




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宿命 2016/05/10


どうにかアクセスカウンタ、その他諸問題を解決できたと思いますがどうでしょうか。

思えば所謂「警告ページ」にカウンタがあるのもどうかと思い、メインメニューへと移転、本日と昨日のカウントも追加しました。

兎に角こういったものから逃れたいと思っても、ネットで作品展をする以上やはり向き合わなければならないようで。

こういった物の知識は全くと言っていいほどにない、こんな私にも判りやすいサイトがありましてとても助かりました。

作成ソフトだけでは対応できない部分が出てきたりしまして、昔よろしくタグを調べて直接HTMLを編集したりするハメになりました。

この先「スマートフォン向けサイト」、「英語版サイト」も作らなければなりませんので、まだまだ頭痛薬が必要になるでしょう。

世界からどんどんこういった「サイト」が消え、SNSに一本化していく理由を身をもって体感しております。

それでも私はサイト以外での活動は考えてはおりません。私は人様と繋がりを持ちすぎてはならないのです。

数多くの大きな失敗を何度も繰り返した末の結論が、こうして「繋がりすぎない」環境でやっていくという覚悟なのですから。

私が人様方と深く繋がるのは、聖なる10月最後の日曜日だけで十分なのです。




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突発性マグナムオーパス 2016/05/07


「サイト内の文章の隙間が妙に開いててなんかやたら読みにくい」という、地味極まる技術的問題を解決しました。

原因はスタイルシートとタグの使い方と役割をまるで把握しておらず、設定がめちゃくちゃだったようです。

このサイトはあくまで絵、写真等の作品を見せるための入れ物という認識で、サイト製作にはできるだけ時間を使いたくない。

という理由で「一番余計な機能がなさそうで安くビギナー向けっぽいホームページ作成ソフト」を買ったのですが、これが意外になかなか高機能で。

まともにホームページを作ったのはホームページビルダー6時代だったので、まあジェネレーションギャップで知らない用語に要素があるわあるわ。

他にもアクセスカウンタとアクセス数が合わない等、まだまだ解決すべき技術的問題が多数あります。

理由のない自信と余裕があったせいで、地味な挫折感を少々味わいました。

昔はこういったキーボードに向かい合う創作に明け暮れ、骨を埋める気でいたのですが、やはり向き不向きはあるもので。

物によっては、幾ら時間をかけて愛しても堂々と「私の創作だ」と所謂大人の事情で言えなかったり。

やりたいことがあるのに単純な技術的問題が解決できず、時間ばかり過ぎていくのに嫌気がさして。

私は突発、衝動的に物を創作する気質なので、衝動がある最初の数時間のうちにある程度形にできなければ続けられないのです。

画材に色鉛筆やシャーペンばかり使うのも、そういった即応性から来るものだったり。本当は油絵のようなどギツい色合いが好みなのですけども。

次の衝動が来ると前の作品に興味がなくなって。長い時間をかけて1作を煮詰めていくのが苦手で。私の妻であるルルですら、製作期間は一ヶ月もない位。

特に今までで最も多くの人に評価された作品は、頭蓋の中身が液状化したと思うほどの頭痛の中、

シャーペン1つで品質の悪い再生紙のノートにめちゃくちゃに書きなぐった物でした。

「突発性マグナムオーパス」(Magnum Opus-最高傑作)とでも呼べばいくらか格好も付くでしょうか。




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リーヴ、ダイ、フォアガトン。 2016/05/06


近頃月日の経過がとにかく早く、気が付けばあの夢のような日から早くも半年が過ぎました。

時々、本当にあれも夢だったのではないかと、あまりにも幸せな時間のリアリティを勘ぐって、写真を見て確かめるほどに。

去年のカワサキハロウィンにて写真を撮ってくれた方々、名刺を貰って頂けた方々、本当に嬉しく、光栄でした。

そして同時に、「あの時こうしていれば、もっと良く振舞えたのでは」という様々な反省点を振り返っては日々後悔しています。

一年に一度きり、悪夢と現実が交わる日なのですから、ほんの少しでもハロウィンを楽しくしたい。

反省を反省だけで終わらせず、しっかりと次回の行動に繋げなければ。


以前と比べ、明らかに体力が低下している今日この頃。

低血糖や胃腸の弱さや原因不明の胸痛やら頭痛やら。大昔から付き合っている虚弱体質に磨きがかかったのか。

大きな病が辛うじてまだではありますが、起きて行動できる時間も無理が利く時間も、相当短くなってきたように感じます。

周囲からは「まだ若い」と言われる年齢ではありますが、時々寝たまま戻らない最期を鮮明に幻視します。

もしそうなってしまえば、私が今まで見続けてきた悪夢の世界、悪夢の中の仲間達は私と共に消えてしまう。

forgotten、忘れ去られるだけならまだしも、誰にも知られぬままひとつの世界が完全に消滅してしまう。

もしもあの夢が私だけにしか見えていないのだとしたら、私が愛したたった一匹の獣も、

おぞましく愛しい仲間達も、何もかもが私の存在と共に消えて、それがあったことすら誰にも認められない。

それは百篇も幻視した死よりも遥かに恐ろしい事。だからこそ、不完全でも、拙くて未熟だとしても、今やらなければならないのです。

「最後の知る人が消え去り、存在自体が消える」のではなく、「一度は誰かに覚えられ、看取られて過去になった悪夢」となるように。

誰の為でもなく、何を得るためでもなく、来る日の最期に私が行くべき場所が残るように。その場所が「やがて忘れられる」存在となるように。

それが緩やかな破滅だとしても。「また明日が来る」という乗り過ごしの絶望感よりも、「今日私は終わる」終着駅の安心感の方が、

怠惰で意志の弱く、寝坊助な私には前向きにこの一瞬、成すべき事を形にする唯一にして最大のトルクなのです。

考えてみれば、私個人にとってこれ以上欲しい物も、満たされぬ欲望もありませんから。

誰に話しても冗談だと思われますが、私にとっては既に余生のようなものなのです。




最後に、去年身勝手に離れていく私を見送ってくれた、家族よりも親しい、長き付き合いの友人たちへ。

あれほど私にはないと言っていたけど、離れてから初めて私は「寂しさ」がなんなのか理解できました。

同時に思っていたよりもずっと、私にとってかけがえのない大切な存在だったという事も。

気が付けば、あの日々と変わらぬ位の頻度で気にかけていました。

私が纏っていた炎は消えました。同時に、戦いの為に灯していた炎も。

燃料がなければ炎は消えてしまいます。あの場所は常に引火物で満たされていた。

精製されていない純度100%の「今」が溢れていたあそこにいて、

私は世界の全てが火薬やガソリンで満たされているような錯覚を覚えていました。

炎の勢いのままに全て焼き尽してしまえといざ飛び出したら、外の世界には火力を保つ程の火種はなかった。

今でも突発的に炎を宿す事はありますが、私の中だけで燃え尽きて外殻を突き破らない。

それでも消えぬ時は、何時か我(゚が『苦痛の始まりの日』にて南端より熱線の贈り物д(とその続きし物語゚)が助けになっています。

『良き 古き 遊び 込む』ゴグは余計な事がなく、それらを買い直すは良い選択で、もう見たくないとすら思っていた世界が少しだけ再び好きになれたかな。

あらゆる人々の行動はただ独善的で目の前しか見えておらずに、共食いすら繰り返し、雄鶏は世界の破滅を救わず、ただ見届け寄り添うのみ。

救いのなさこそが救いになる場合もあるのだなと、そして私の炎の制御には後にも先にもこれこそが最良の選択でした。

あの日々とは違って、もはや私は誰かの為戦うように創作しようとする者ではないかもしれないけれど。

その気ならばいつの日か、どちら方も、両方の、いつかの約束も果たしましょう。




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2015/10/23


去年のカワサキハロウィンからまたも丸一年放置となってしまった、怠惰のフェリエッタでございます。

今年もモチベーションや体調の悪化など、変わらず言い訳になるような幾多の事情もありましたが、

今振り返ると、それ以上に創作活動への大きな心の迷いがありました。

どこか自分自身を疑って、自分の作品を世界へと見せる事を恐れていたような気がします。

「私自身が見る夢の世界を創作で表現する」というテーマを、

私自身が心から信じていなかったような。

漠然とした構想という外箱の制作だけが先走って、中に何を入れるのか想像していなかったような。

曇ったままのメガネをかけて歩くように、本当に伝えたいことが見えていなかった。

去年と同じく、夢に見る住人の仮装で日本最大のハロウィンへと向かうこの機会。

今度こそ、心から私の世界を信じていけたらいいな。



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2014/10/24


大変長らくお待たせしました。フォガトン・ナイトメア、いよいよ本格始動です。

私の体調や諸事情ありまして、二年近くもの間手付かずのまま放置しておりました。

明後日26日、私とルルとが夢の中や紙の上から離れて現実の世界へと飛び出せる、

川崎で行われるハロウィンパレードという大きな舞台に参加できるこの機会に合わせて、

どうにか突貫オープンまで漕ぎ着けたという感じです。とはいえ未だメインのギャラリーもなく、

まだまだ先は遠く険しい道ですが、ルルや夢の仲間達と共に頑張りたいです。


















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