FORGOTTEN NIGHTMARE
Forgotten Nightmare
"Whiteheart Syndrome"
2011
MOBILE MODE
(スマホ等をお使いの方向け)
ぼんやりとした意識の中で、私はただ立ち尽くす。
―この場所は何処だろうか。
周りは深い闇と霧に覆われて、青黒い宵闇の空がほんの少しだけ私の周りを照らし出す。
無数の硬い不快感が足元に居座る。小石が敷き詰められた地面。何故だろうか、靴を履いていない。
着ている衣服も所々の糸が解れてひどく破れ、誰のものとも分からない血が黒のロングジャケットをさらに赤黒く染めている。
背骨の延長線上が焼けたように痛む。触れると、私の腰には毛皮が血でべとべとになった黒い尻尾があった。
掴んでいる部分から痛みが広がっていく。疑いようもなく自分の体だった。
血で濡れて固まった前髪をかき上げようとして、今度は指が大きな耳に触れる。
自分の意思で動かせる、毛皮で覆われた尖った獣の耳。
私はどうしてこの場所にいるのか。
私は一体何をしたのか。
私は何者なのか。
当然であるはずの疑問について考える気は私の頭になく、ただ私はある種の懐かしさを感じていた。
ぴたり、ぴたり。
頬に雨粒が落ちる。
悲しげに降り出した雨と共に、私の背後に何者かの気配が現れる。
振り返ると、そこには静かに俯く一人の少女の影があった。
華奢な体躯。腰まで伸びる白金色の髪。ボロ布のようなワンピース。
その彼女の姿を見た途端、私の胸中を強い罪悪感が侵食していく。
既に取り返しのつかない事をしてしまったような、重い罪の感触。
まだ私は何もしていないはずなのに、何故だろう。
ふと、私はその答えを思い出す。
私はこの直後に起きる事を、既に知っているからだ。
少女はゆっくりと顔を上げてこちらを見つめる。
海と空の青を混ぜたような、果ての見えないほどに深い青色の瞳。
そして少女は私に何も言わず、やさしく微笑みかけた。
その、まるで春の陽だまりのようにやさしいはずの笑顔が、
私の心臓をえぐり出さんとまでに胸に強く突き刺さる。
そう、知っている。この後の展開を。
知っているからこそ、この笑顔に隠されたその意味が恐ろしく痛い。
私の知っているシナリオ通りに、少女は右手に持った物をゆっくりと振り上げる。
それは温度の無い、無機質な銀色に光る大きなナイフだった。
少女はナイフの刃の部分を持ち、革巻きの握りの部分を私にそっと差し出す。
何かを語りかけるように彼女の唇が動く。
しかし、まるで声が存在しない世界にでもいるかのように彼女の言葉だけが聞こえない。
静かに降る雨足が次第に強くなる。
―いけない。このままでは。
しかし、私には悲劇のシナリオを変える力など無いと言わんばかりに、
私の足が勝手に一歩、二歩と少女に歩み寄る。
ゆっくりと近づく少女と私の距離。彼女はナイフを差し出して微笑んだまま微動だにもしない。
―止まれ、止まれ。
静止しようとする私の意識とは無関係に歩み寄り続ける。
まるで第三者として、もう一人の自分と少女の舞台を見ているようだ。
その悲劇の終幕を知っているからこそ、止めなければならないのに。
ついに互いに手の触れる至近距離まで近寄り、立ち止まる。
私よりも少し背の低い彼女は私を見上げ、互いに目を合わせる。
長い長い髪の間から生えた、大きな白い獣の耳。
微笑んだまま動かない口元から覗く、銀色に光る二つの牙。
降り頻る雨に濡れ、びしょびしょになった長い尻尾。
大きな切れ長の目に浮かぶ瞳孔は縦に長い、獣の目。
人間ではない。明らかに異形な姿。
しかし私が感じているのは恐怖でも、物珍しさでもなく、単純な愛情だった。
そう、私は彼女の事を深く愛している。ずっと昔から。
それゆえ、この後に起こる悲劇を許してはならない。そのはずなのに。
私は彼女が差し出すナイフの柄を、右手でしっかりと握り締める。
彼女は刃から手を放し、首をほんの少し傾げてもう一度笑った。
そして。
私は左手で彼女の首を鷲掴みにして、そのまま力ずくで砂利の地面へ叩きつける。
仰向けに倒された彼女の全身は強い打撃を受け、柔らかい表情が苦痛で歪む。
私は首を掴んだまま、上に馬乗りになる。
右手のナイフを逆手に持ち替え、首を掴んでいた左手をナイフに添える。
小さな胴体の内部にある心臓に狙いを定め、天高く思い切りナイフを振り上げる。
その瞬間に―
殺して。
彼女の唇がそう動いたような気がした。
同時に、鈍い胸骨が砕ける音と共に、冷たい刃が彼女の温かい胸を貫いた。
私は笑っていた。それはそれは、愉悦の笑みを浮かべて。
ナイフをえぐる様に回しながら胸から引き抜く。瞬間、真紅の血液が噴水のように吹き上がる。
口から血を吐いて、痙攣する彼女の胸に私はもう一度ナイフを振り下ろす。
グシャ。
先ほどよりも数センチずれた場所に刃が突き刺さる。
グシャッグシャッグシャッ。
二度、三度、四度と私はまるでミシンの針のように、ナイフを何度も何度も彼女の胸に突き刺す。
愉しみの笑みを浮かべた内側で、途方もない悔しさが滲み出る。
頭に浮かび続ける脚本通りに、愛する誰かをズタズタに刺し殺している。
ほんの一歩も運命に抗う事ができないまま、物語の幕が下りはじめる。
ああ。また悲劇に終わってしまった。
馬乗りのまま、赤黒い色だけになったナイフを力なく彼女の傍らに捨てる。
細いひし形の彼女の瞳によく似た無数の傷口が私を嘲笑うように睨んでいる。
流されるがまま、哀れな物語の主人公になった私を見つめる彼女は―
それはそれは、優しげに笑っていた。
まるで子を抱きしめる母のような柔らかな表情で。
彼女の唇が動く。
「ご・・・ さ・・・」
雨音や風音が遠のき、微かに音が聞こえはじめる。
「ごしゅ・・・ さ・・・」
世界が滲み、ぐちゃぐちゃに溶け始める。
「ご主人様・・・」
どこか聞き覚えのある声で、誰かに語りかけている。
頭蓋骨の中の脳髄がアイスクリームのように溶けていく感覚の中で、ふと我に返る。
ここは何処だ? 私は誰を殺した? それ以前に、ここは何時だ?
目を閉じて、溶ける頭を抱えて必死に答えを探そうとする。
ご主人様・・・
ご主人様・・・
ご主人様・・・
彼女のその言葉がミルクとコーヒーを混ぜ合わすマドラーのように世界と頭をかき回す。
ドロドロと全てが溶けて、混ざり合い、そして闇の中に消えてゆく。
ご主人様・・・
ご主人様・・・
ご主人様・・・
島島島島島島島島島島島島島島島島島島島島島島島島島島島島
「ご主人様っ!!」
響いた大声に、弾けるように目を開ける。
ここはどこだ。私は誰を殺した。ここは何時だ。
ヘッドライトが延々と続く舗装されていない広い山道を照らす。
飾り気の無いダッシュボードの中央に据え付けられたデジタル時計は二十時を示している。
「随分うなされてましたけど、怖い夢でも見てたんですかにゃ?」
世界をかき混ぜた声が私のすぐ左側から鮮明に聞こえる。
そこには先程殺したはずのあの彼女が慣れた手つきでハンドルを握っていた。
締め付けるシートベルトと革のシートの感触、窓を見れば立ち並ぶ背の高い樹木が後方に流れていく。
「ああ・・・ ルル、おはよう」
「ふふ、まだ日付すら変わってません。私達の世界には入りましたけど」
無意識に名前が口から飛び出した。彼女の名前はルル・ホワイトハート。
薄暗い車内でも爛々と光る深い青色の瞳。わずかな光を反射して銀に光る長い白金色の髪。
黒い落ち着いた雰囲気のワンピースドレス。長袖にロングスカートだ。
腰に巻いたひし形の大きなコルセットと、十字架が彫られた銀の鈴のチョーカーが異彩を放つ。
シートに深く腰掛けた隙間から顔を出した白い尻尾はまるで別の生き物のようにシフトレバーに巻きつき、
同じく白い大きな獣の耳は左側が前、右側が私を向いてそれぞれの音を拾っている。
でこぼこ道を疾走する振動と頼りがいのある力強いエンジン音。この車は彼女の愛車である小型バスだ。
見た目は白地に青のいわゆるワーゲン・バスだが、改修を重ねた中身は別物だ。
「ところで・・ どんな夢だったんですにゃ?」
「夢?」
「寝言で延々と私の名前を呟いてましたけど・・・」
ああそうだ。私は文字通り、悪い夢を見ていた。
これが初めてではない。いつも忘れた頃に繰り返し襲ってくる悪夢。
夢の中で感じた妙な既視感もそのせいだ。
心配そうなルルの表情。ふといい台本を考えつく。
「屋敷のキッチンで君が料理してたんだ」
「私がですか?」
「そう。それでミートパイを作ってたんだが肉が無かったらしくて、包丁持った君に追いかけられた」
「つまり私がご主人様に八つ当たりですかにゃ?」
「いや、『フェリエッタ!! 代わりにあなたの肉を使うのですにゃ!!』ってね」
思わず吹きだし、長い牙を見せてくすくすと笑いはじめるルル。
別に悪夢の内容をそのまま伝えてもいいのだが、夢は夢。
私にしか内容は分からないし、私にしか影響はない。
それなら楽しい内容に歪曲して、笑いをとった方がいいと私は思う。
些細な企みは見事成功して、まだルルは猫の目を細めて笑っている。
「にゃははっ、じゃあご主人様、今夜のお食事はミートパイで決まりですにゃ!」
「フェリエッタでいいよルル。それと私をパイに混ぜたらお行儀よく食べれない」
「ふふ、"ご主人様"の方が呼びやすいですにゃ。気にしないで、フェリエッタ」
フェリエッタは私の名前だ。
他にも色々と名乗った名前があるが、今のところはこれに落ち着いている。
長い付き合いのルルとは互いに砕けた以上の深い関係だが、
昔の名残りもあって未だ私の事を"ご主人様"と呼んでいる。
どうも私が嫌いな主従関係の臭いがして気になるのだが、彼女にそれを直す気は無いらしい。
ふと、今日こうして車で夜道を走っている理由を思い出す。
「ところでルル、牛肉や赤ワインは仕入れたかい?」
「バッチリ。一番後ろのシートに積んでおきました」
後ろを覗くと、山積みになった紙袋や木箱がすぐ後ろから後部座席までいっぱいに詰め込まれていた。
とても最後部など見えない。
「そういうご主人様はちゃんと買い物しました?」
「渡されたメモ通り買ってきたはずだよ。確か小麦粉60キロと砂糖80キロ、それに紅茶一箱とシナモンにお菓子色々」
「グラニュー糖はどうしました?」
記憶があやふやになり、腰から膝が膨らんだデザインのズボンのポケットから
シワだらけになったメモを取り出して確認すると、確かに砂糖の下にグラニュー糖と書いてある。
「・・・砂糖とグラニュー糖って違うのか?」
それみろ、と言わんばかりにルルはしたり顔でため息をつく。
「まぁ、砂糖がこれだけあれば暫くは大丈夫ですにゃ」
「なんだ、別物だったのか。てっきりどちらか買えばいいものかと」
「グラニュー糖の方がお菓子作りに向いてるのですよ」
今日は朝の六時からルルと二人で数百キロ離れた町まで買い物に出た。
山岳の森深くにある私達の屋敷には気軽に外に出られない者が多い。
その為、人中を出歩くのに比較的慣れている私たちが定期的に屋敷の住人たち全員分の買い物に繰り出すという訳だ。
普段はルル一人がこの小型バスを乗り回して買い歩くのだが、
今回は住人達のリクエストが普段以上に多かった為に急遽私も買い物の手伝いをする羽目になった。
果てしなく続く山道をひたすら車で走り、町に着く頃の時刻は既に昼前だった。
適当なレストランで二人昼食を取り、町のあちらこちらを走り回っては車を停めて手分けして買い物に走った。
五、六件の肉屋や雑貨屋で台車を押して一日中買いまわり、
やれやれと助手席で一息ついたまま眠りこけてしまったらしい。
毎度これだけの店を一人で買いまわる彼女は只者ではないと思う。
「ラジオでも聞きましょうかにゃあ」
ふと沈黙し、回想にふけっている私を察したのか、ルルはカーラジオのスイッチを入れる。
現世とネクロランドの境目では、ありとあらゆる世界の電波が混信している。
古めかしいデザインのラジオの選局ダイアルを回すと、洒落たピアノジャズが流れ始める。
ルルの好きな曲調だ。ハンドルを掴む指がリズムに合わせて揺れる。
車窓の風景に薄く霧が立ちこめはじめる。この道はずっと濃い霧に覆われていて、
道を知らずに迷い込み遭難する者が後を絶たない。私たちの屋敷はこの霧を抜けた一時間程先だ。
ラジオに混じるノイズも霧と同じく濃くなり、綺麗な音が雑音に成り下がりはじめた。
どこかまだ聞こえる局は無かっただろうか。私はダイアルを左右にいじり始める。
「・・・の国会で可決されまし・・ 非人類希少生物保護法案に関しましては・・・」
ノイズ混じりの、感情の無い声でニュースを読み上げる女性の声。ルルは表情に憤りを浮かべる。
「相変わらず、人間様はどこまで偉そうなんでしょうかにゃあ?」
「怖がってるだけさ。あいつらは頭で理解出来ないものを本能的に恐れる生き物だ」
「ふふ、屋敷のお茶会に参加させてやりたいものですね」
政治話が嫌いな二人に支持を得られなかった周波数はすぐに変えられて、
スピーカーからはノイズだけが流れ出す。他に聞こえる局はないようだ。
カーラジオを切ろうと電源に手を伸ばすと、真っ白なルルの細い右手が私を遮る。
右手はラジオの真下の小物入れらしき蓋を開ける。中には怪しげなダイアルだらけの機械が隠されていた。
「・・・警察無線の盗聴機だな」
「いいえ、単なる暇つぶしのオモチャですにゃ」
悪戯っぽく笑うルルにこちらも企み顔で返す。
電源を入れ、適当にダイアルを回して聞き耳を立てる。
ノイズの奥に聞こえる、暴走族を追跡中のパトカーの音声に検問からの無線連絡。
町からの電波を拾っているらしい。こちらには特に関係の無いことだ。
続いて事故発生の報告。駐車場で車をぶつけて男二人が言い争っているらしい。
さらに酔っ払いを保護した連絡や、ぼや騒ぎの火元検証の連絡。
さっき買い物をしてきた時の町はあんなに平和だったのに、よくまあ一日でこんなに事件があるものだ。
警察官達の苦労を思いつつ、更にダイアルを回していると。
「・・・こちらデルタ・・・ 位置ノヴェンバー地点・・・ 異常なし・・・」
明らかに混信とは違う、ハッキリとしたノイズ交じりの音声。
ごく近く、このネクロランドからの発信。警察無線とは違う、独特の暗号コード。
軍隊で使用されているフォネティック・コードと呼ばれているものだ。
それぞれのコードは単純な英単語で、その頭文字のアルファベットが暗号の意味だ。
デルタとはアルファベットのD、ノヴェンバーとは同じくNの事を指している。
柔らかかったルルの表情が水で冷やしたように引き締まる。
「ご主人様、これは軍用無線の周波数ですにゃ」
「軍隊様がこんな所で一体何の訓練だろうね」
音量を上げ、二人とも聞き耳をピンと立てる。
「・・・了解・・・ 目標マイクまで60分・・・ 作戦・・・ する」
「目標マイク? 何の事でしょうにゃ?」
ルル眉間に力を入れて考えている。
マイクはMを指している。そしてここから60分だとすると・・・
マンションか。つまり私達の屋敷の事だ。
山を覆う霧が深くなるこの場所はルルの運転で屋敷からおよそ40分程の距離。
並の人間の運転ならもう少しかかる。そしてこの山道で車が通れる太い道はここ一つだけ。
つまり、こいつらはネクロランドの住人を狙う者。人間のハンターだ。
「お客さんは、このすぐ先に居る」
ルルが精悍な顔でにやりと笑う。
車のヘッドライトを切り、辺りは完全な闇に包まれる。
未舗装の曲がりくねった真夜中の山道。人間がこんな所でライトを切るのはたとえ徒歩でも自殺行為だ。
ルルの縦長の瞳孔が満月のように丸くなる。私も暗闇に目が慣れていく。
木々の間を縫って、このバス一台がやっと通れる左側の細道へ入り、どんどんスピードを上げて行く。
無線のノイズが徐々に消え、発信者との距離が近づいていくのが分かる。
「私有地に無断で乗り入れるような輩は脅かしてやりませんとにゃ!」
時々道の真ん中に立っている木を紙一重でかわしながら走り続けると、4台の車列が私の右前方に見えた。
黒のジープ二台の前に黒のバンが一台。さらにその前にもう一台ジープがヘッドライトを煌々と照らして走っている。
やはり軍用車だ。それも一般的な軍隊のそれではない、特殊機関の車両だ。
明らかに訓練ではない。何かの任務を遂行する為に我々の屋敷に向かっている。
その時、無線の向こうが慌しくなった。
「HQより全車へ! 付近に未確認車両の反応あり! 繰り返す! 未確認車両接近!」
HQとはHead Quarters、司令部の略称だ。
どうやら軍事衛星かセンサーか何かに我々がひっかかったらしい。
それを知った司令部から前の車両に耳打ちされてしまったようだ。
「ルル、何か武器は?」
「平和な町に買い物に来ただけですよ? 武器なんて大して無いですにゃ」
そう言いつつ、ルルは左手でハンドルを握りながら落ち着いた銀色のコルセットに右手を入れると、
中から小型の自動拳銃、コルト32オートを指で回しながら取り出した。彫刻入りの銀の本体に黒のグリップだ。
手の中でくるりと銃を反転させてコルセットにしまうと、
今度は刃渡り20センチ程の軍用サバイバルナイフを取り出し、空中で一回転させてキャッチする。
切っ先が鋭い刃の中心は軽量化のための楕円の穴が開いていて、背の部分はノコギリのような刃。
革巻きの柄の底には打撃用の金具が取り付けられ、所々に彫刻が彫り込まれている。
「これだけです。そういうご主人様は何かありますかにゃ?」
「買い物について来ただけだ、武器なんてあると思うか?」
私はロングジャケットの裾をまくると、左右の皮製ホルスターに収められたものを確認する。
ルルの物より二回り程大きな拳銃がグリップを前にして2挺収められている。
コルトガバメント。100年以上最前線で使われている、45口径の強力な拳銃だ。
装填出来る弾数は7発と少ないが、その分小振りで扱いやすい。
控えめだが、この銃にもルルのものに似た彫刻が彫られている。
ベルトの後ろ側には皮製のポーチに収められた銃の予備弾倉が4つ。
持っている弾丸は全部で42発だ。
「・・・45口径が2つにマガジンが4つ、あとはいつものお守りだけ」
「ご主人様にしてはずいぶん軽装ですにゃあ」
「こちらからはまだ仕掛けるな。ただの迷子かもしれないしね」
脇道を降りて、黒い車列の後ろにじわじわとにじり寄る。
「こちらデルタ! 霧が濃くて車両を確認できない!」
「半径10m以内に反応がある。よく探せ!」
無線から焦りが伝わってくる。その瞬間、私達を隠していた霧が晴れた。
澄んだ星空、車三台は楽に通れる直線の山道、車列の輝くテールランプ。
その美しい晴れた光景は、彼らにとっても同じだった。
「真後ろだ! ライトを消している! 一般車ではない! 発砲許可を!」
「こちらHQ、状況を確認した。敵勢車両を排除せよ!」
無線が切れるやいなや、前を走るジープのサンルーフから男が頭を出した。
闇に溶ける黒の迷彩服に防弾ベストとヘルメット、目には一眼の暗視ゴーグルを着け、その手には小銃が握られている。
黒い細身の本体の上に乗せられた赤点が輝くドット式照準器。特殊部隊仕様に改造されたMP5短機関銃だ。
男が銃をこちらに向ける。その瞬間、けたたましい銃声が連続して鳴り響いた。
バスのボンネットに鉛が着弾し、鉄の弾ける音が車内に響く。
ルルはとっさにヘッドライトのスイッチを入れ、男の顔面を照らす。
暗視ゴーグルを着けていた男の視界が薄緑一色に奪われ、ゴーグルを外そうとして一瞬銃撃が止む。
私は間髪入れずに2挺の拳銃を腰から引き抜き、助手席のドアを開ける。
ドアと車体の隙間から両方の銃身を突き出して、両手の銃に入っている全ての弾を男に向けて連射する。
腹に響く重い14発の銃声が連なるように鳴り響き、ジープの窓に点々と弾痕が着く。
そして男の腕とわき腹、首筋に銃弾が命中した。
男は断末魔を上げ、銃を虚空に乱射しながらジープの中に沈む。
銃弾を撃ちつくした銃は上部のスライドが後退したまま、銃身をむき出しにして弾切れを知らせている。
ドアを閉め、右手の親指と左手の人差し指でそれぞれの銃の左側にあるボタンを押しながら勢いよく下に振る。
空になった弾倉が両手の銃から飛び出し、足元に軽い音を立てて転がる。一秒。
左手の銃に右手の銃を束ねるように持ち、右手でベルトの背中側に隠した予備の弾倉を二本引き出す。三秒。
そのまま左手の二挺に二本の弾倉を叩き込み、一挺を右手に戻して銃身左脇のレバーを押してスライドを戻す。
四秒半だ。場所のせいにはしたくないが、揺れる車内のせいで手間取った。
「もうご主人様! まだ仕掛けるなって言ったじゃないですか!」
「悪い! 我慢できなかった!」
ふざけたような調子で怒鳴るルル。この状況を楽しんでいるようだ。
「やられた! 一名死亡! 繰り返す! 隊員一名死亡!」
「こちらHQ! 重火器の使用を許可する! 持てる全ての火力を用いて脅威を排除せよ!」
対して、無線の向こうはまるで蜂の巣に石でも投げたような大騒ぎだ。
どうやら働きバチを本気にさせてしまったらしい。
黒のバンがスピードを上げたかと思うと、その後ろに並んでいた二台のジープが横並びになって減速し、こちらに近づいてくる。
左右のジープのサンルーフからほぼ同時に武装した男が顔を出した。
私が座っている右側のジープの男が無骨で大きな銃を取り出す。M249軽機関銃だ。
弾丸の口径は5.56mm。私の銃の11.43mmに比べて小さいが、
弓矢のやじりのように細長く速いその弾丸は鋼鉄の板をも撃ち抜く。
「ルル、伏せろ!」
私が叫ぶと同時に、耳を劈くような甲高い轟音が鳴り響く。
頭を下げて両手で覆う。バキン、バキンと窓に弾痕が咲き始める。
しかし、ルルは少し前屈みになるだけで頭を隠そうとしない。
「ご安心を、防弾ですにゃ!」
ルルの言うとおり、やじりのような弾丸はフロントガラスに突き刺さったきり入ってこない。
しかし、200発の装弾数を誇る機関銃から吐き出される鉛の雨は止む気配がない。
頭を上げて、ヒビだらけの窓から様子を伺う。
相変わらず火を噴き続ける右側の銃。そして左側のジープの男は・・・
大きな筒の底を伸ばして、しっかりと肩に担いでこちらに向けた。
M72軽対戦車火器、LAWランチャー。所謂ロケット砲だ。まともに食らえば家も吹き飛ぶ。
ルルに警告する暇も無しにソレは鮮やかに火を噴いた。
とっさに左側でルルが握っているハンドルを掴んで思い切り引っ張る。
放たれたロケットの弾頭はバスの真横すれすれを空気を切り裂きながら通過した。
遠心力でバスの荷物が揺れ、ガタガタとやかましく音を立てる。
一呼吸おいて、背後で空気を震せながら爆発音が鳴り響いた。
「何するんですかにゃご主人様っ! ワインのビンが割れますにゃ!」
後輪を滑らせ、ふらふらと蛇行するバスの姿勢を立て直しながらルルが怒鳴る。
どうやら彼女は自分の命よりもそちらが大事なようだ。
・・・彼女にとってそれは、当然と言えば、当然なのだが。
寝起きの重い目が覚めてきた。
とにかく、一刻も早くこいつらを黙らせなくては。
弾切れか、バリバリと銃弾の雨を降らしていた右のジープが黙る。左のジープは次のロケット砲を用意している。
弾もロケットも飛んでこない。今が反撃のチャンスだ。
ドアを開けてバスの天井によじ登る。強烈な風圧で私の耳と尻尾がバタバタとたなびく。
「ご主人様! そこはダメです! 撃たれますにゃ!」
ロケット砲のジープまで距離にして20メートル。
飛べる。
バスの天井がヘコむ位に思い切り助走をつけ、ジープに飛びかかる。
空中で右の.45口径を引き抜いて、銃を反転させて銃身を握る。
サンルーフで目を丸くする男の頭上を跳び越して、ジープのボンネットに腹ばいに落ちる。
案の定、よく洗車された光沢のあるボンネットから滑り落ちそうになる。
握った拳銃のグリップをハンマーのようにジープのフロントガラスに叩き込む。
バリ、と短い音を立ててグリップが窓に食い込み、どうにかずり落ちずに踏みとどまる。
特殊部隊用の目だし帽の運転手と目が合う。驚愕し目を見開く男に私はにやりと笑みを返す。
サンルーフの男が腰の拳銃を抜いて私を狙ってきた。
ぶら下がったまま左手でもう一挺の.45口径を逆手で引き抜き、彼の顔面に3発撃ち込む。
鮮血が吹き上がり、ビクビクと四肢を痙攣させて車から転げ落ち、山道の彼方に消えていく。
右手に力を入れて這い上がり、ジープのサンルーフまで転がるように移動し、右手の銃を構え直す。
サンルーフに頭から体を突っ込み、逆さの状態で両手の銃を至近距離から運転手以外の2人に乱射する。
生身の部分を撃たれては、防弾ベストも意味を成さない。首や顔面から血を吹き上げて彼らは絶命する。
ジープの運転手が恐怖で蛇行を始める。私は銃をホルスターに納めて座席に転がるロケット砲に手を伸ばす。
ダァン! ダァン!
運転手が肩越しに特殊部隊向けの大柄の拳銃、Mk23を必死で乱射する。
しかし揺れる車内に肩越しの目隠し射撃、至近距離とはいえめったに当たるものではない。
揺れた拍子にロケット砲の肩紐に手がかかり、拾い上げる。
ついでに手近に転がる先程殺した男の胸に付いていた手榴弾のピンを外してもぎ取り、
運転手の足元に放り投げる。
サンルーフから顔を上げると、私のすぐ真横にバスが並走していた。
手榴弾に肝を潰された運転手はパニックを起こし、ジープは物凄い勢いで左へ回転を始める。
タイミングを見てバスの屋根に飛び移る。
ジープはそのまま横転し、部品を撒き散らしながらゴロゴロと転がっていく。
瞬間、車内から爆音と共に光が迸り、続いて車体全体が紅蓮の爆炎に包まれた。
「デルタ、ダウン! 繰り返す! デルタ、ダウン!」
バス車内からかすかに聞こえる無線を聞き取る。
たった今爆破した車両が最後尾の車両D、デルタだったのだろう。
残りは先頭ジープの車両A、アルファ。続くバンの車両B、ブラボー。
そして今無線を流していると思われる機関銃の車両C、チャーリーだ。
無線の声の奥からジャラジャラと弾帯を銃に装填する音が聞こえる。
弾切れで休んでいた軽機関銃の装填が完了したらしく、また耳障りな轟音を上げて鉄の雨が降り始めた。
右側からの激しい銃撃。対して私はバスの上。隠れる物など何も無い。
屋根からバスの左側面に転げ落ちるように慌ててぶら下がる。バス側面に張り付いてバス全体を盾にする。
ヒビだらけの窓越しにルルに目配せをする。ルルは軽く頷くと道の左側ギリギリにバスを寄せ、
さらにジープとスピードを合わせて並走し、私側に敵が回り込まないようガードした。
弾丸が跳ねる激しい金属音が延々と鳴り響く。このままでは幾ら防弾と言えども長くは持たない。
バスの前輪近くのバンパーに足をかけて、先程拾って肩紐で吊っていたロケット砲の準備を始める。
両端を守る二つの鉄製の保護キャップを外し、後部にある箱状の照準器カバーを持ち警棒のように振って砲身を伸ばす。
ジャキンと音をたてて二つの照準器が跳ね上がる。照準器同士の間にある安全装置を引き出して解除する。
「ルル! 邪魔な雨雲を吹き飛ばす! アレの後ろに付けるんだ!」
轟音の中、背中を付けた窓の向こうのルルにノックして叫ぶ。
ルルは右手の親指をグッと立てると、バスを減速させてじわじわと真後ろに寄せ始める。
私は右手でしっかりとバスの窓枠の縁を掴み、左肩に乗せたロケット砲上部の発射レバーを左手で握る。
バスの前方に付いているワイパーやヘッドライトが弾の雨に耐え切れず、粉々になって千切れ飛ぶ。
やや相手の右後方に付き、ジープの機関銃手と私は真正面で対峙した。
ロケット砲に気づき、機関銃の男は死に物狂いで私を狙い撃ちにする。
弾が頭上を掠める風切り音がする。冷静に照準器を斜めにしてジープのトランクを狙う。
思い切り左手を握り込み、ジープに向けて片手でロケット砲を発射した。
発射炎がロケット砲の両端から噴き上がり、獲物を求める猛禽類のようにロケットがジープに一直線に迫る。
瞬間、後部に弾頭が命中し、爆発と共に前方に転げるようにして空高くジープが吹き飛んだ。
空中で燃料に引火し、もう一度盛大な爆炎と轟音を上げ、ドアやタイヤを撒き散らしながら火の玉になって落下してくる。
ルルが残骸を避けようと右に急ハンドルを切る。バスのタイヤが滑り始め、甲高い音を立てる。
細いバンパーに乗り、右手を窓枠に引っ掛けていただけの私は遠心力で振り落とされそうになった。
ただの鉄パイプと化したロケット砲を捨ててとっさにサイドミラーにしがみつく。
見ての通り耐久力の無い部品だ。鉄の軋む音がしてみるみる折れそうになる。
しかしバランスを完全に崩して今にも振り落とされそうな私はそれに縋るしかなかった。
すぐ脇に燃え盛る残骸がガラガラと落下して火の粉を撒き散らす。どうやら上手くかわせたようだ。
プロ並のテクニックで蛇行するバスを安定させたルルは、私がしがみついている運転席のドアを開けた。
どうにかサイドミラーが折れる前にドアの内側に移り、頭を下げたルルの頭上から滑り込んで助手席に座る。
「ふふっ、相変わらず作戦が無謀ですにゃ!」
「無策だよ。全部アドリブだ」
ドアを閉めながらルルは私を横目で見て笑う。私も笑みを返す。
スピーカーからは焦りを通り越し、パニックになった男達の怒声が飛び交っている。
「何てこった! チャーリーもやられた! こちらアルファ! 繰り返す! チャーリー、ダウン!」
「こちらHQからアルファへ! ブラボーが逃げる時間を稼げ! 何としてでも積荷を守れ!」
「アルファよりHQ! 我々だけでは無理だ! 至急応援をよこしてくれ!」
「これは機密作戦だ! お前達の存在は肯定されない!」
「ふざけるな! 今すぐヘリをよこせ!」
「繰り返す。時間を稼げ! 不可能なら全ての痕跡を抹消の上離脱せよ! 以上だ!」
どうやら連中はバンで何か重要な物を輸送しているらしい。
そこに悪戯をしに近付いた我々を駅馬車強盗だとでも思い込んで先手を打ったようだ。
警告も威嚇も無しにいきなり銃撃してきた辺り、恐らく目撃者の全員抹殺も任務だろう。
「ご主人様、どうします? 奴らもう戦意が無いみたいですけど・・」
どこか残念そうな顔をしてルルがつぶやく。
ルルの言う通り、銃撃や砲撃を加えてきた男達は全員ジープごと吹き飛ばした。
向こうから攻撃して来ない以上、これ以上攻撃すればただの駅馬車強盗だ。
「よし、奴らの前に回り込んで停車させるんだ。それから・・」
全部言い切る前に先頭を走っていたジープが急減速し、バンとバスの間に割り込んできた。
後部座席両側の窓が開き、MP5短機関銃を持った男達がそれぞれの窓から顔を出した。
乾いた銃声を立てて、車体に鉄の跳ねる音が響く。
「前言撤回」
「お楽しみ続行ですにゃ!」
再び不気味な笑みを顔に戻したルルが思い切りアクセルを踏み込む。
そのまま銃撃者のジープに後ろから体当たり。車全体に凄まじい衝撃が走る。
男達はバランスを崩し、大量の弾をバラバラと地面に無駄撃ちしている。
ルルが左手の窓を裏拳で二度殴る。窓全体が振動し、刺さっていた機関銃の弾が抜け落ちる。
手回し式のレバーで窓を開け、コルセットから引き抜いた32口径を窓から出して乱射する。
そう当るものではないが、男達は車内に釘付けになり反撃出来ない。
ルルが敵を牽制している間に、私は両方の45口径を両脇に挟み、弾倉を取り出して叩き込む。
完全に弾を切らしていなかったので素早く装填出来た。今度は2秒半。
こうすることで一発多く銃に装填出来るため、残りの弾は16発だ。
銀の32口径のスライドが下がったままになり連射が止まる。ルルの銃が弾切れだ。
ここぞとばかりに男達が銃撃を再開する。彼女は銃の装填よりも体当たりを選ぶ。
再び激しい衝撃。銃撃が止む。
位置的になかなか攻撃出来ない私の脳裏にふと新しいアドリブの台本が浮かんだ。
「ルル、前のバンに横付けするんだ。アレを停めれば全て止まる」
「にゃふふ、ここまでして守ろうとするお宝ってにゃんでしょうにゃあ?」
漆黒の闇を切り裂いて爆走する狂気が、加速していく―
END
※ この小説は、
作者の明晰夢を元に再現した
フィクションです。