FORGOTTEN NIGHTMARE



Forgotten Nightmare 2024/7/13

"The Depth City"

〜海底都市舞踏会〜



NORMAL MODE



沈みかけの月に十字を切るような銀の窓枠。
ガラス越しにモノクロームの部屋が映り込む。
黒に白の紋様が刻まれた壁紙。一面の銀白の絨毯。
この夜最後の僅かな月光に応え銀のシャンデリアが煌めく。

部屋の中央近く、祭壇のように置かれた天蓋付きのベッド。
その中で背を丸め猫のように眠る、薄桃色のベビードールを纏う獣の姫君。
僅かに肋骨の浮き出る胸部を収縮させながら、一面の闇の中央に咲く。
根を張るように白銀の髪を白のシーツに広げ、毛布もかけず静かに微笑むように。
世界が凍り付いたように無音で白黒の部屋には、彼女の僅かな寝息と、
それにかき消されんばかりの儚い歯車の音だけが響き渡る。

窓の外では白い霧のような朧な朝日が闇を塗り潰し始める。
飲みかけの白ワインとグラス、ベッドサイドの小さなテーブルの上。
鈴を頭に設け細かな装飾の刻まれた銀の無音時計の針が、午前6時に差し掛かる。
その歯車が6時を指し、目覚ましの小槌がベルを叩こうとバネが弾けた瞬間。

チャリッ。

・・・蛇のようにうねる尻尾が、音を鳴らそうと動いたベルを正確に押し止めた。
ぬるり。静かに起き上がる獣の姫君は、長い白銀をシーツに広げたまま少女のように座る。
彼女はゆっくりと、深海のように青紫に輝く双眸を開く。全てを飲み込むように。

「・・・くるるらぁぁぁお」

両手を丸めてシーツに着くと、背骨を大きく反らせ尻尾を立てて背を伸ばす。
喉を猫のように鳴らし、閉じれば見えないほどに小さな口が耳元まで開く。
真っ赤な口腔から凶悪な牙が覗き、長い舌をくるりと巻いて大欠伸。
人のように座り直し、コキリと二度首を左右に鳴らす。
くるりと転がるようにベッドから立ち上がり、ベランダの大窓を開く。
朝霧の向こうに霞んだ太陽が見える。
猫のような獣の姫君、ルルは木々の香りを肺いっぱいに深呼吸し。

「...Mornin my lovely world.(おはよう、我が愛しい世界)」

吐き出しながらぽつりと、悪夢の世界に呟いた。

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ベビードール姿のままルルはおもむろにベランダの手摺に飛び乗り、
そのまま当然の如く12階の高さから真下へと飛び下りる。
風圧に髪を靡かせ、空中で2回転し、中庭の石畳の上に膝も付かず着地する。
ルシッドヴァイン城中庭。朝露が煌めく芝生の上を裸足で歩いていく。
血のように真っ赤な薔薇の立ち並ぶ花壇の横に、
緑の豪華なドレスを着た薔薇を右目から生やした
人形の少女、ロゼッタが静かに眠っている。
水音を響かせる大きな噴水の横を通り抜け、
目指すは明りの灯るテラス。
木製の椅子とテーブルが立ち並ぶ中、
バンケットホールの大きなガラス扉を引く。
カラン。軽い音でドアベルが鳴る。
巨大で豪勢なホールはまだ寝静まり、人影はない。
・・・その音に聞き耳を立てる小さな影を除いては。

「ハイヨー、ルルー、いつもの一丁できてるよ♪」

「ハイラァ、ガロッタ。朝はコレに限りますにゃ」

全身にツギハギ跡、右腕は肘から下の骨が露出した屍娘、
ガロッタが一杯の冷めたアメリカンコーヒーをルルに差し出す。
ルルはそれを受け取ると、ウインクしながら啜る。
ガロッタは人差し指、親指、小指を立てた
いつもの妙な挨拶のサインを指が残る側の腕で返す。
狂気と形容できる程に料理好きの兎の屍娘、
ガロッタはこのホールを24時間離れない。
厨房裏のハンモックで寝ており、
腹を空かせた誰かが来れば何でも料理する。
いつも朝6時2分ピッタリにルルがコーヒーを飲みに来る。
それに合わせてガロッタは5時55分にコーヒーを淹れるのだ。
"猫舌"のルルの為、冷ます時間も考慮済み。
濃度は薄め、シュガーもミルクも入れない。

広すぎる程に広いバンケットホールの長テーブルに沿うように歩き、
ルルはその最奥、3面が巨大な窓で覆われたステージ上のグランドピアノに腰掛ける。
コーヒーを一口啜り、それを何もない楽譜台の横に置く。
そしておもむろに、軽妙なジャズワルツを弾き始める。

荘厳なようで、何処かふざけた様でいて美しい音色が屋敷に響いてゆく。
ガロッタはそれをカウンターテーブルに腰掛け、頬杖をついて聞き入る。
新雪のような白肌の手足を薄桃のベビードールから曝けながら、
早朝のネクロランドに音色を添えていく。

・・・5分ほど、満足行くまでピアノを奏でたルルは、
最後の一口を飲み干して、カウンターテーブルにカップを置く。
厨房奥の巨大冷蔵庫が開く音がする。ガロッタは城の住人と、
朝食ビュッフェを目当てに城に訪れるネクロランド住人達の為の料理を作り始める。

朝食の時間は7時から9時まで、その頃にはこのホールも賑やかになる。
ルルは朝のルーティンを終え、また中庭から自室へと戻る。
広い城内を駆け抜けるより、外壁を飛び登る方が早い故に。

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木々の香りに混じり肉や卵の焼ける匂いと、
水を含んだ土と花の香りが風と共に吹き込む。
眼下の中庭では薔薇の人形、ロゼッタが動き出して花木に水を撒き、
時折花や草と会話し、自身もジョウロの水を飲んでいる。

開け放たれたベランダの扉。ルルの自室に朝日が差し込む。
奇妙な大量の瓶が並んだ木棚。数個大量の牙が入った瓶がある。
ルルの歯は二週間毎に生え変わる。そして抜け落ちた鋭い牙は、
この世界で貴重な対価代わりになる。お守りや装飾品として、
武器の材料として、銃弾の弾頭に、屍娘の歯の治療に。

棚横の古びた蓄音機が、ジャズワルツの音色を奏でる。
ガチャリ。足でドアノブを回し、自室入口横のバスルームから
軽くシャワーを浴びたばかりの一糸纏わぬルルが現れる。
ドレッサーの鏡を見ながら、ヘアブラシで髪を梳かす。無数の銀に輝く毛が落ちる。
この部屋の銀の絨毯は、その殆どがこうして落ちるルルの髪である。

肋骨と背骨が浮き出た体形を覗かせながら、薄桃のフリル付きの下着に着替える。
黒のショートドロワーズをクローゼットから取り出して履き、
そしていつもの黒いワンピースドレスをふわりと被り袖を通す。
背中側のジッパーを後ろ手で上げ、尻尾を通す後ろ腰のジッパーを下ろす。
くにゃりと飛び出した尻尾に、年季の入った真っ赤なリボンを巻き結ぶ。
白と青に不釣り合いな赤色は、"彼"の最初のプレゼント。
ドレッサー前のテーブルに置かれた、銀のコルセット。
慣れた手つきで手に取り、ものの十数秒で2ヶ所の紐を縛る。

その後方の大きな丸テーブルの上に輝く飲料水の瓶と、銀のナイフと銀の拳銃。
彼女手彫りの優美なエングレーブが施された、愛用のカルニヴォア・ナイフ。
顔が反射する刀身を覗き込み、指で刃を撫で、クルクルと回してコルセットへ納める。

続いて銀の拳銃を左手に取る。「テンペスタ.32」、フェルに贈られた小振りな8連発、.32口径拳銃。
軽く放り投げるように上部を掴み直して片手でスライドを引き、薬室の装填を確認。
セフティをかけ、銃をスピンさせコルセットに収める。

黒革のベルト付きシューズに生足を滑り込ませる。
靴下は履かない。鋭い彼女の爪が破いてしまうからだ。

最後にドレッサーの前で、まるで動作テストをするかの如く表情を試す。
真顔で、軽く微笑んで、そして口を耳まで裂いて威嚇の表情。

「らぁぁお・・・にゃふっ」

満足げに笑うと、窓を閉め、蓄音機の針をどかし、
内鍵をかけてからドアを閉め自室を出る。
鍵は持たない。ドレスのポケットには"マスターキー"がある。
ピッキングが得意なルルはすべての鍵を2本の針金で開けられる。

ポケットから銀の懐中時計を取り出す。
時刻は午前6時17分。

こうしてまた彼女の一日が始まる。
悪夢を真に述べる者、白きカルニヴォアの。

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真鍮の格子戸、12階まで刻まれたアナログ針の階数表示。
古風なエレベーターが軋みながら一階に到着する。
ガラガラと音を立て格子が縮む。
ルルはタバコを咥え、煙を吐き出し、後ろ手を組んでエレベーターを降りる。
彼女の白く大きな耳が動き、遥か向こうの音を拾う。

「・・・裸足、軋んだ外れかけのボルト、釘抜きで遊ぶ音」

青い薔薇が活けられた花瓶のある小テーブル上の灰皿へと、
通り抜けながら灰を落とし、煙を燻らして赤絨毯の長い廊下を歩く。
左右から延びる階段の中央を抜け、朝日がステンドグラスから差し込む。
あまりにも巨大な金のシャンデリアと、見えないほどに高い天井。
コツコツと靴の音が巨大な玄関ホールに反響する。

巨大な玄関扉向かって右横、ソファ付電話台にタバコを押し付けて消し、
その奥にあるこれも大きな扉を押し開く。続いて城門と呼ぶほかない、
10mは優にある玄関扉の鍵を慣れた手つきでピッキングし開錠する。
2秒もかからず鍵が音を立て、全身で大扉を引き開ける。
そこにはルルよりも二回りほど小さな犬耳の屍娘が立っていた。
白濁した左目、顔の雑なツギハギ跡、欠損した右腕にはバールの義手。

「ハイラァ、ルル、今日も時間通りだわ」

「ハイラァ、クロウバール。いると思いました。今日はどっちが先ですか?」

「先に風呂、それから飯、そして風呂の予定なのだわさ」

「にゃふふっ、大浴場もいつも通りですよ。ごゆっくり」

クロウバールは妙な鼻歌を歌いながら奥の廊下に尻尾を振り回しスキップしていく。
ルシッドヴァイン城地下一階には巨大なローマ風の大浴場がある。
無類の風呂好きの彼女は、毎日6時22分の開門に合わせ扉前で待っている。
本来開門時間は6時半だが、ルルが開けるこの時間を狙って一番風呂に来る。
40分入浴を楽しみ、ダイニングホールで朝食、そして食後に1時間再度入浴、
最後に6階にあるエゼキエル作のゲームコーナーで
3時間ピンボールを遊んでから正午に街に戻る。

それがクロウバールのルーティンだ。ルルは全住人の動きを把握している。
彼女はいわば、平民中の平民。多少の戦闘力と度胸以外何も持たない。
だがルシッドヴァイン城内の全施設はネクロランド住人なら無条件で利用できる。
空き部屋もルルへの話一つで貸し出し、宿泊可能だ。
勿論城に入り浸る住人も数多い。そのお陰で、入り浸る各々が城の各務をこなしてくれる。
ダイニングホールのマスターシェフ、ガロッタもそんな居候の一人。
クロウバールも十分役に立つ。大浴場の配管が緩んでいれば、
自慢の右手で勝手に直している故に。彼女本人は無自覚だが。
余談として彼女が来てから、大浴場の備え付けに錆止めオイルが増えた。

クロウバールを見届け、ルルは石段を下り正門前の庭に出る。
この城を見つけた時からある巨大な噴水が大きな水音を響かせている。
金属棒をツタのようにくねらせたデザインの黒い門は平時開け放たれている。
ルルから向かって左横門支柱、5mの石城壁のポストの鍵をピッキングで開ける。
中には3通の封筒。城内宛の手紙はここに投函すれば各々にルルが届ける。
鍵をかけ直し、次の仕事は"娘"を起こす事だ。

城内から見て左、正門から見て右の車庫の脇を通り抜ける。
芝生が一面に広がる、広大な城内庭にぽつんと枯木の大木がある。
斜めに突き刺された錆びた郵便受け、木に描かれた絵。
その根元に空いた60cm程の樹洞に、小さな木の扉が嵌っている。
扉には「ALiCE RAbbiT HoLE」と色とりどりの絵の具で乱雑に書かれている。

ここが便宜上の娘、フェリエッタが養子とした兎の屍娘、生物兵器アリスの寝倉だ。
1948年"製造"。失敗作として廃棄、自身を生んだ軍属を一人残らず皆殺し。
自身を童話の登場人物と信じて疑わぬ、幻覚持ちの砂糖中毒。
幼稚さ故の無垢で純粋な暴力は、ルルも大層気に入っている。

ルルは小さな樹洞のドアをノックし、開ける。暗闇からは甘ったるい異臭が漂う。
2m下の空洞奥からは小さな光が見え、冷気と共に僅かな寝息が聞こえてくる。

「アリスー、朝ですにゃー!!」

ルルの呼び声に一瞬寝息が止まるも、またすぐに寝息を立て始める。
やれやれと溜息をつき、ルルは身を屈め"アリスの落ちたウサギ穴"に飛び込む。
2m下に飛び降りると、中は壁をコンクリートで塗り固めた
10m四方程の半球状のドームになっており、年に数度の猛暑が差し掛かる今日でさえ肌寒い。
そこには大量のお菓子、お菓子の食べ散らかし、割れた電球にひしゃげた燭台、
壊れたラジオ、銃の薬莢等の様々なガラクタやゴミが山のように積っており、
小さな電球式のテーブルライトが天井に突き刺さり輝いている。

強い錆と獣の臭いに混じる、溶けたチョコレートに砂糖の匂いが強く鼻を衝く。
壁に強引に埋め込まれた半壊の本棚には、同じタイトルの絵本や小説ばかりが乱雑に並び、
その何れにもトランプや紫の猫、白兎に青か黄のドレスの少女が描かれている。
ふと足元の鉄塊に躓きかける。"ジャバウォック20mm"、砲と見紛う超巨大な3連発リボルバー。
銃の上には何故か割れたティーカップが置かれ、青いリボンが銃に結ばれている。

アリスはよく無機物に話しかける。
巨大な銃を相手に、イカれたお茶会でも開いたのだろう。

一応種類別に分けられた4隅の"宝物"の山、
そのお菓子の山の上で大の字で眠る金と茶の髪の少女。
右手には何度も補修された、辛うじて「ALICE」とタイトルが読める絵本を抱えている。

いつものボロボロの青いエプロンドレスを着たままに眠るアリスの耳元で、
ルルがまるで物語を読み聞かせるように囁く。

「・・・そしてアリスは、お菓子の山の上で眠るアリスを見つけました。
 眠る自分を見つめるアリスが不思議に思っていると、どこからともなく声がしました」

それをルルが言い終わるや否や。

「アリス、起きなさいィィィッ!!」

アリス自身がそう叫びながら飛び起きた。
これはアリスの抱えた愛読書、生前の記憶を辛うじて繋ぐバイブルの一節だ。
この本の文章だけはほぼ完璧に覚えているアリスを起こす一番の方法。
目覚めのシーンを囁けば、彼女はいつでも夢から帰る。

跳ねるように起きたアリスは暫く気の抜けた顔で虚空を見つめる。
彼女は人間とは比べ物にならない程の大量の糖分を覚醒時に消費する。
極限まで代謝を落とす眠りは冬眠に近い。寝起きの血糖値切れはいつもの事だ。
ルルはアリスの腰掛けるお菓子の山から未開封のチョコレートバーを見つけ、
それを拾うとアリスの目の前で左右に振る。間もなくアリスが目で追い始め。

「ねえさま!! ギヒヒ、朝ね!!」

「にゃふふっ、ハイラァ、アリス」

ルルが軽く放り投げたチョコレートバーに、アリスは包み紙ごと空中で噛み付く。
バリバリと音を立ててそれを飲み込み、ブルブルと震えた後に山を崩して飛び降りる。
アリスはスカートをつまみ上げ、片爪先を立てて上品にカーテシーのお辞儀。
ルルも丁寧にそれを返す。

そして突然互いに顔を近づけると、双方牙を剥き出して威嚇の表情を取る。
真っ赤な口腔から覗く長い糸切り歯と、死んだ色の口腔に並ぶ銀のノコギリ歯を見せ合い、
目を零れんばかりに剥き、瞳孔を糸のように、点のように絞り数秒睨みあった後。

「・・・にっひひひ!!」

「・・・ギヒヒヒヒィ!!」

二人とも突然笑い出し、ハイタッチする。
まるで意味の分からない行動だが、これが朝の日課だ。

「じゃ、朝食に行きましょうか」

「今日のパフェはクランベリーとバナナ、どっちがいいかしら!?」

「にゃふふっ、ガロッタのオススメに任せるとしましょうよ」

「両方もアリよね!!」

アリスは軽くスキップするような動作だけで、2m上の樹洞に難なく飛び上がる。
身を屈めて前転し、すかさず眼下に手を伸ばす。軽く跳ねたルルがその手を取ると、
放り投げるようにアリスが後転しながら引き抜くようにルルを引き上げる。
ルルはその勢いのまま空中一回転し、屈みもせずに着地し歩き始める。

二人にとって2mの縦穴は階段程度の苦労もないが、そうでない者には手詰まりとなる。
事実フェルがこのアリスの"部屋"に訪れる時は、アリスかルルが彼を引き上げなければ脱出できない。
まあ、彼は時折ここで数時間もアリスとのイカれたお茶会に平気で付き合うのだが。

「帽子の無いマッドハッター・・・」

ルルの口から不意に例えが零れる。

「にいさまの事ね!!」

「にゃっふふふ、当たりですにゃ」

正気ではないが、アリスはそれなりに物事を考えている。
これでルルの毎朝の仕事はひと段落だ。


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巨大な柱時計の針が大袈裟な音を立て、7時30分を示す。
1時間前まで料理を焼く音だけが響いていたダイニングホールは、
今や数十名の住人達の立てる音、他愛もない談笑の声で賑わっている。

朝食ビュッフェのスタイルで行われる毎日の朝食会には、
誰もが食欲をそそるベーコンエッグやポテトとステーキの皿の隣に、
頭蓋骨のような甲虫"スカルバグ"のシロップ漬けや、
人間の手足や指をフライドした化物用の料理も並んでいる。

長いテーブルの左右に無数に並ぶ、4席毎の丸テーブル。
各々が好きな位置に腰掛けて好みのメニューに喰らいつく。
椅子とは限らない。テーブルに腰掛けるも、屋根にぶら下がるも。
この世界のマナーには特に反しない。

蜘蛛娘エンデューラが遥か高い天井から糸でするりと降り、
パンケーキ4枚にこれでもかとバターとシロップを塗りたくりると
再び天井に戻り、8本中の2本の前足で上下逆に抱えた皿から
逆さ吊りの状態でナイフとフォークで食べている。
それを"相変わらず、上品な作法だ"と皆が思っている。

長テーブルの中程に座る4匹の化物達。
ルルにアリス、向かいには"レイダーシスターズ"。
エミルとミミルが椅子に腰掛け、朝食も酣だ。

「・・・でね、一昨日ジャンクヤードの東の廃屋を見つけて、
 そこで埃しか被ってない、新しい紙箱を見つけたんです」

緑色の腐乱した肌の屍少女、エミルが焼きたての
"何かの肉入り"パンを齧りながら話す。
肉の種類など、この世界では赤ければ何でもいい。
傍らではミルクシェイクを飲んでいた紫色の肌の屍少女、
エミルの姉ミミルが思い出したように傍に置いた鞄を探る。

「あったあった!! これよね? 何かの機械みたいだけど・・・」

「お姉ちゃん、持ってきてたのそれ?」

「これ、何なのか解らないから、
 ルルちゃんかフェルちゃんに見せるのが先かなって。
 誰が欲しがるのか分かるかもしれないし・・・」

エミルの前に座るアリスが3つ目の
"小さめ花瓶パフェ チョコ味"を一気飲みし、
ガタンと身をテーブルに乗り出しながら顔を傾け、
人間側の青い目を見開いて箱を凝視する。
アリスの赤い側の目は、色を認識できない。

「きっとお菓子よ!! 銀色のビスケット!! 味見!! 味見していい!?」

その光景を眺めるルルは、真っ赤なミートスープを
スプーンで口に運びながら軽く笑う。

「にゃふふ、遂にこんなモノまで忘れ去られましたか。貸してください」

ミミルがルルへ箱を渡すと、ルルはちらりと文字を読み、
慣れた手つきでそれを開封する。中からは円盤状の機械と、
細いコードが小さな球状の部品に繋がった物体が出てきた。

「ルルさん、それは・・・?」

不思議そうに見つめるエミルを後目に、
ルルは機械にコードを接続し、裏蓋のネジを長い爪で回し開ける。

「ここでレイダー姉妹にオーダーです。
 裏が虹色の円盤と生きているAAバッテリーが4本。
 あります?」

その言葉にすぐ反応し、二人の屍娘はそれぞれ自分の革鞄を探り始める。
腰に巻いたポシェットから赤色の単三乾電池を4本取り出したのはエミルだ。

「あった!! 多分まだ使えると思います!! お代は結構ですよ!!」

「にゃふふっ、借りるだけですよ。すぐ返します」

続いて肩掛けの鞄から、姉のミミルが透明なケースに入った小さな円盤を取り出した。
ケースには4人の人間の写真が印刷された、古びた小冊子が挟まっている。
ルルは既に受け取った電池を機械にセットしている。

「これじゃないかしら・・・ ルルちゃん、これでしょ?」

「大当たりです。80年代ですか、悪くないですにゃあ・・・」

ルルは脇のラッチをスライドさせ、機械を開く。
その中に円盤を入れ、数回ボタンを押す。
すると、コードの先の部品から音楽が鳴り始めた。
耳の良いルルはニヤけながら、流れる音楽に首を動かす。

「ポータブルCDプレイヤーと呼ばれる現世の機械ですにゃ。
 蓄音機の小型版ですね。このイヤホンを耳に突っ込んで使います。
 まあ人間用ですから、我々にはサイズが合いませんにゃあ。
 耳にひっかけると良いですよ」

言われるがまま、エミルとミミルは二匹で片方ずつイヤホンを
小さな猫の耳にひっかけて音楽を聴く。それを凝視するアリスに
気が付くと、二人はイヤホンをアリスに渡す。
アリスは片方を人間側の耳に、もう片方をウサギ側の耳に巻き付ける。
彼女の人間側の耳は、殆ど音を拾えないのだが。

「あ! これ! 知ってるわ! ヴェンタねえさまが好きな音楽よ!!」

「そういえばヴェンタちゃん、こういう曲に目がないわね」

「それなら、ヴェンタさんにあげるのが一番かもしれないですね!!」

曲が終わったところで、アリスは引きちぎらないよう慎重に、
しかし不器用にコードを外してエミルにそれを返す。

「にゃふふ、80年代UKロックですよ。あの娘の魂です。
 ミックステープより良いモノかもしれませんにゃあ。
 ディスクはケースごと渡した方が喜びますよ。
 文字が読めますからね、ああ見えて。
 寄越す対価はまた配送一年無料とか、そんな所ですかにゃあ」

「ルルさん、ありがとうございます!!
 やっぱり現世に一番詳しいですね!!」

「ご主人様の影響ですよ。あいつはまだ半分人間ですからにゃあ」

現世のガラクタを弄り回しながら皆が朝食を食べ終わり、
ルルが食後のタバコに火をつけた時、
後方の柱に掛けられた電話機のベルが鳴った。
椅子にもたれながら振り返ると、6つある豆電球の左から2つ目、
「B2」のランプが点滅している。地下水路入口からだ。

ルルは壁を指差したその手を軽く上げて挨拶代わりとし、
咥えタバコで壁の受話器に向かい、それを手に取った。

「にゃいにゃーい、ルシッドヴァイン城内線4番ですにゃ」

「ルル! 丁度良かった! アタシよ、テトロよ!」

「にゃあぉ、マーメイドのお出まし、そんな季節でしたか」

「ふふっ、そうよ。もう8月じゃん? 年一度の海底都市舞踏会よ!!」

「にゃっふふふ、今年も国王夫妻をご招待で?」

「あったりまえでしょ!! 逆に今まで呼ばなかった年あった?」

「では招待をお受けしましょうか。・・・水槽は必要ですか?」

「んー・・・すぐ行く予定だったけど、
 たまには陸の城を見るのも悪くないわね。
 所でビュッフェ、まだやってる?」

「にゃふふ、丁度いい時に来ましたね。オーダーは?」

「えーっとね、メロンソーダとステーキにパン!!」

「シェフに伝えておきますにゃ。今行きますよ」

電話を切ると、ルルは歩きながら通り掛かりの灰皿に灰を落とす。
入口カウンター前でタバコを消すと、ガロッタを呼ぶ為のベルを指で弾く。
すぐにガロッタが焼き立てのパンのかごを片手に厨房から出てくる。

「ハイヨ、追加オーダーですかネー?」

「人魚一名様、メロンソーダとステーキにパンだそうです」

「アイサー♪」

腕が塞がっている時、ガロッタは両耳を上下させて"了解"の合図をする。
ルルはダイニングの大扉を出ると、ホールを抜けエレベーターに乗った。


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・・・エレベーターは軋んだ音を立て、地下二階水路入口に停止する。
ひんやりと、湿った風が右側から左側へと吹き抜けていく。
ここはルシッドヴァイン城内でも一年通して気温が低い。
だが湿度も高く、避暑地としてはとても向かない。
ふと見た錆びた温湿度計の表示は現在室温18度、湿度86%。

この城で涼むなら巨大冷蔵庫の中。ルルはそう考える。

数年前の熱帯夜の夜、酔った勢いで半裸で冷蔵庫に入ったまま眠り、
完全に氷漬けになった事が頭を過り始める。あの夏と同じ位に暑い。
幸いあの醜態はフェルとガロッタにしか見られていない。

だが不死身とはいえ庭で露店のジュース販売のように、
ルルを氷替わりにクーラーボックスでグレープスパークルごと
解凍した事だけは今となっても多少根に持っている。

「・・・るらぁぁぁお」

思わず威嚇の鳴き声が出る。何年も前の夏の事だ。あの馬鹿主人も、
最もダメージの少ない解凍方法を選んだつもりなのだろうが。
時折別の個所へのダメージの配慮が根本から欠けている。
手近にあれしか無かったにしても、冷蔵庫最奥をすぐ探したにしても。
無意識に眉間に皺が寄る。

とはいえ、あの夏はよく覚えている。
自棄飲みしたグレープスパークルの味も、
八つ当たりがてらに、まだ震える腕で逆手に振った瓶が
あのご主人様如きに受け止められた事も。
そのまま噴水に二人を引きずり込んで馬鹿騒ぎした事も。


コキリと首を鳴らし、意識を回想から現実へ引き戻す。
この水路は元々、城の裏手にある湖から場内に水を引き入れる為に
建造されていたと思われる。ルルにも由縁は推測する以外ない。

この城は現世で存在を忘れ去られ、この悪夢に廃墟として転がっていた場所。
それにルルやフェリエッタが勝手に住み着き、適当な名前を付けたに過ぎない。
いわば巨大な拾い物。尤も、元の持ち主など存在したかどうかも定かではない。

風の吹く方向へ暫く進むと、水音が激しくなる。
左手には側溝のような水路と1m程の小型の水車。
その脇に、薄い金属で作られた箱の乗った台車が一台。
ルルはそれを押し、水路脇から流れ出る湖の冷えた水を注ぎ込む。
重くなった台車を押し石の地下通路を奥に進むと、
水車で発電した電気で輝くランタンの光が見えてきた。

「ルルー!! 暫くぶりね!!」

「にゃふふ、ハイラァ、テトロ」

5m四方の箱状の堰の中でバシャバシャと水音を響かせるのは、フグ人魚のテトロ。
紫色のボブカットにパフスリーブの上着、そして人魚とは思えない程の寸胴体形。
縁に片手を付き、満面の笑みで手と背びれを振っている。

この地下水路は湖と繋がり、湖は川を伝い海へ続いている。
淡水と海水の両方を行き来でき、長距離を泳げる彼女は、
地下水路を伝って城に直接訪れる事ができる数少ない海底都市の住人だ。
それ故に海底都市とネクロランドの頼れる連絡係である。

湖から城の地下に繋がるこの堰には、こうして訪れる人魚達の為に防水加工をした
電話機が水面から取れる位置に設置されている。内線2番ルシッドヴァイン地下水路。
人魚がここへたどり着けば、城の住人は電話で来訪を知ることができる。

「ささ、募る話は上で。お乗り下さいにゃ」

「いつも悪いわね、アタシこれで移動するの結構好きなのよ」

「たまには逆の立場というのも悪くありませんからにゃあ」

「わかるわ、それ!!」

ルルは4mほど水槽台車から離れ、柱の陰へ入る。
テトロは一度深く潜り、勢い良く水面から飛び上がる。
くるりと空中で一回転し、盛大に水飛沫を上げながら水槽へと飛び込んだ。
辺り一面が水浸しになったのを見届け、ルルは来た道を戻り台車を押し始める。
テトロはバスタブに浸かるように水槽台車でくつろぐ。

「それで、今年のパーティーの予定は?」

「まあいつも通りね。期間は3日、特別水中馬車の定期運航、
 国賓としてあなた夫妻をご指名で招待、主催はフォッカ姉」

テトロは青虹色に輝く煌びやかな2通の封筒をルルに渡す。
薄く削られた貝殻や甲殻類の脱皮殻で作られた海底都市の防水紙。
墨を吐ける人魚の墨をインクとし、紙より優れた耐候性を持つ。
この製造技術は現世に存在しない。これだけでも凄まじい価値があるが、
海底都市では日常的な物である。

「いつも通り、今日向かえますか?」

「もちろん!! もう水中馬車乗り場にゴルデリアが行ってるわ」

「それじゃあ、まずあの海藻ヘアを起こす為の鍵を
 地下5階のオモチャ箱から持ってくるとしますか」

「海藻・・・っぷくくくく!! 言えてるわね!!」

「アレが水に漬かると見分けが付きませんよ。
 火薬とニコチンの出汁も取れますし」

笑いのツボに入ったテトロは、水槽に沈むとぶくぶくと泡を吐き出し、
それから噴水のように水を噴き上げていた。


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ルシッドヴァイン12階左棟、最奥の部屋。
ルームナンバーは無く、"FELIETTA BALLISTPHILIA"と
真鍮のネームプレートだけが輝き、彼の紋章が輝いている。

大き目の革袋を肩にかけたルルは、その部屋のドアに辿り着く。
身を屈め、手品のように針金を出し、瞬く間にピッキングでドアを開ける。
銃のグリップを転用した特徴的なドアノッカーには触りもしない。

真っ黒い壁紙、凝固した血のような赤い絨毯の室内には、
火薬とメンソール煙草、ガンオイルの匂いが立ち込めている。
よくこんな部屋で眠れると、ルルは毎度思っている。
キラリと何かが光る。錆の少ない.45口径の薬莢が、
赤の絨毯の刺繍に紛れ床に転がっている。
地下二階の射撃場へ向かうのが億劫だったのだろうか。
窓を開け放ち、部屋で銃を試し撃ちしたらしい。

ドレッサー前の椅子には乱雑に掛けられた赤黒のドレス、
その上には.45口径と12ゲージ弾薬の紙箱。
革のホルスターに入った状態で置かれた、大層大事な"バカの銃"。
彼が愛用するソードオフダブルバレルショットガンだ。

向かいの丸テーブルの上にはネクロランド産のウイスキー、
「LIFE VIAL」と同じくこの国製造のメンソールタバコ、
「Red Buck」が無造作に転がり、その脇には"何か"の干し肉の皿、
分解された銃の部品が赤い革マットの上に並べられている。

あれだけ広い銃庫があると言うのに壁には無数の銃器が掛けられ、
その半分はとても戦闘には耐えない、2、3世紀前の骨董品だ。
年季の入ったペンと、ネクロランドの住人が描かれた無数のスケッチ。
インスタントカメラで撮られた家族写真。

その奥の天蓋を締め切った大きなベッド。カーテンをくぐる。
そこに"悪夢の主"は眠っている。
ほぼ呼吸は聞こえず、脈も限界まで落ちた状態で死んだように。

ルルはベッドに腰掛けると、静かに目を閉じる。
意識を彼の内に集中させ、糸を手繰るように魂を追う。
何処かの現世の部屋、電子機器を向かう彼の"夢の中の姿"が見える。
そこに静かに囁く。つまらない夢から連れ出すように・・・


彼の意識が戻ってくるのを感じる。
すかさず天蓋のカーテンを開き切り、ルルは革袋の中を探る。
鉄塊を取り出すと、彼のすぐ枕元に寄る。瞬間。

ジャキリッ!!

・・・目を覚ました瞬間、フェリエッタは枕の下に忍ばせていた愛銃、
M1911A1カスタムを反射で枕元の白い化物に突きつける。
ルルもそれに応え、地下5階銃庫から持ち出した銀色の銃を突きつける。

「・・・ハイラァ、ルル、呼んだな?」

「にゃふふ、お目覚めですにゃあご主人様。
 "悪い夢"にうなされていたようで」

「ああ・・・ 私は寝つきが悪い」

「にゃっふふふ、ほら、楽しい現実の時間ですにゃ」

これは何時もの朝のルーティンだ。
フェルは不意に近くに来た相手全てに反射で銃を向ける。
それに対しルルも手近な武器を向け対抗する。
撃つ事はない。単純に恰好が良い為お互いにやっている。
アリスのおふざけと何も変わらない。

ルルが握る銀の大型の銃を見て、フェルはすぐに察する。

「そいつを持ってきたという事は、今日は海中探検か」

「いかにも。フグの娘が来ましたよ。
 今年も暑いですからにゃあ。何時もの避暑地へ」

フェリエッタが細く青白い体を起こし、握った銃をベッドへ置く。
ルルはくるりと銀の銃のグリップを彼に向け差し出す。
銃を受け取ると、フェルはそれの動作をチェックし始める。

2本の銃口を備えたソードオフダブルバレルショットガン。
彼の銃には珍しくグリップには黒いゴムが用いられ、
木材は使用されず、全体がステンレスで作られている。
引き金横の大型レバーを押し、バレルを開放する。
中に収められた2発の12ゲージ弾薬は銀の杭のように突き出している。

この銃は彼が海底都市探索用に自作した水中銃だ。
普段使い慣れたソードオフショットガン、カリエンテ12と
可能な限り寸法を同一とし、水中で30mの有効射程を誇る。
そのどちらも、ルルは"バカの銃"と呼ぶのだが。

フェルは立ち上がると、ごそごそと準備を始める。
まずはタバコに手を伸ばす。ルルに比べ明らかに手際が悪い。
毎度見兼ねてルルは必要なものを手際よくベッドの上に揃える。
椅子からドレスを取り、靴を置き、赤黒ボーダーのロングソックスも。

そんなルルには脇目も振らず、フェリエッタは鉄塊を弄り回す。
寝ていたままの黒いネグリジェ姿で、銃に油を差しながら
ルルが持ってきた革袋の中の水中用ホルスターを調節している。

恐らく、彼はまともな朝食を摂らないだろう。
幸い、まともでない朝食もガロッタは揃えている。


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白い朝霧が薄くなり、日差しが強くなり始める。
ルシッドヴァイン玄関ホールから、二人は車庫へと向かう。
ルルはポケットから銀の懐中時計を取り出して開く。
歪な十字架を模した針が示すは時刻は8時20分。
クルクルと鎖を巻いて仕舞い直す。

咥えタバコを煙らせ、後ろをだらしなく歩くフェルは
いつもの黒赤のドレスに腰には銀の水中銃。
肩には先程ダイニングで調達した筒状の革袋を下げている。

・・・やはりまともでない食事を選んだようだ。
ルルは呆れたように軽く笑うと、車庫のシャッターをガラガラと開く。
朝日を反射する程に美しく磨き上げられた車両が3台。
車庫内部の棚には大量の工具や予備部品が置かれている。

左端に停められたのは深青色のスクーター。
1968年型ベスパ、イタリア製。
ハンドル部分が白にペイントされている。

右端で威圧感を放つ特徴的なフロントマーク。
大きな古風の車両。大量の窓を備え、丸みを帯びた深青色に白の車体。
1955年型ドイツ製。ワーゲンバス・タイプ1と呼ばれる箱型バン。

その二台の間に収まる、子猫のようなフォルムの小型自動車。
1961年型イギリス製、ミニ・クーパー。他二台と同じ深青色に、
車体を縦断するように2本の白のストライプが入ったカラーだ。

ルルは脇の鍵掛けから、一つの鍵を回しながら取る。
迷いもせず中央のミニに鍵を差し込みドアを開ける。
恐ろしく小さな車体に、小さな体を滑り込ませる。

「今日はこの子にしましょう、一番速いですから」

「ワーゲンじゃないのか・・・」

「テーブルが欲しいでしょうけど、まあご主人様ですし」

「これは山を下りてから開けるとしよう」

「にゃふふ、ぶちまけますからにゃあ」

「私が閉めるとしよう、出してくれ」

ドアを閉め、ルルが鍵を回すと、軽い爆発音のような音を立て、
見た目からは想像も付かない程派手にエンジンが唸る。
タイヤを空転させ、勢い良く車庫からミニが飛び出す。

古風だが、ルルの車両はどれも防弾仕様に加え、
限界まで各部を強化してある。特にこのミニは最速の一台だ。
車好きの彼女は、現世から入手した車両を趣味で改造している。
外側の愛嬌ある外見以外はまるで別物と言っていい。
性能はどの車両も申し分ない。乗り心地を除いては。

フェルがシャッターを閉め、助手席に座る。
ドアを閉めるや否やシートベルトを現世のように締める。
ちらりとそれを見て、ルルはエンジンをふかし始める。
シフトレバーに乗せた指を不穏に蠢かせる。

「じゃ、行きましょうか」

「ルル、タイムアタックは別の機会に・・・」

フェルが言い終わる前に、小さな車は土煙を上げ弾丸の如く発進した。
シフトレバーを叩くように動かし、サイドブレーキすら駆使する。
ハンドルを曲芸の如く回し、アクセルを踏みぬく程に唸らせる。
噴水の周りを2周ドリフトで旋回し、その勢いで正門から山道に飛び出す。

「らぁぁお、絶好調ですにゃあ!! 私のように吼えてますよ!!
 新記録と行きましょうか!! 今の時刻は?」

「この揺れで時計を読めるか!!!」

細い山道に生える木をかわしながら、深青の銃弾が飛んでいく。
ダウンヒルで加速したスピードメーターは140kmを超えていた。


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心地よい風が吹き抜ける、ルシッドヴァイン城へ続く山道の麓。
一時間前まで朝食を摂っていたレイダーシスターズの二人と、
デザートのクッキーをまだ食べ歩いているアリスの三人が歩いている。
あの後エミルとミミルに、アリスは訳も半分に同行する事にした。

「エミルにミミルねえさま!! 今日はどこに宝物探しなの!?」

「今日は在庫の搬入に、地下墓地街に向かう所なんですよ!!」

「そうそう、あの機械がダースで入ってた箱を持ってきててね、
 その荷車がもう少し歩いた所に置いてあるのよ。
 良かったらアリスちゃんが引いてくれれば早いかもね!!」

「ギヒヒ!! 私は早いわよ!! ねえさまたちは荷台に乗せて、
 すぐに連れて行ってあげるわ!!」

「あはは、助かります!!」

そんな会話をしていると、三人の背後から派手なエンジン音と、
そして砂利を散らすロードノイズが響いてきた。
腐乱死体故に耳介が腐敗している姉妹に先んじて、
アリスがその大きな右耳を動かす。

「エミルねえさま!! ミミルねえさま!! ルルねえさまよ!!」

「道を開けた方がいいですね!!」

「アリスちゃん!! 頼んだわ!!」

屍娘姉妹は全力で走っても、人間の小走り程度の早さが限界だ。
対してアリスは並の自動車を追い越せる。

ミミルが言うや否や、アリスは二人を両脇に抱え上げると
脇道に素早く短く跳んでスライドする。
姉妹を降ろした瞬間、土煙を上げ猛スピードで車が走り去った。

「今日も飛ばしてますね・・・」

「新記録じゃない?」

「ルルねえさまー!! 気を付けてねー!!」

遠ざかる土煙に、3人は手を振り見送る。


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キュイイイッ!!
ルルの愛車のタイヤが高い音を立て、舗装路に食いつく。
土煙に代わり白煙を巻き上げる。
恐ろしい程に揺れていた車内は一転し静寂が訪れた。

ネクロランド城下街北区入口。
ルルは満足げに左手をハンドルから放し、
ちらりとダッシュボード中央に増設した時計を見る。
助手席のフェリエッタは咥えていたタバコを
その時計下の灰皿へ押し消した。

「8時38分・・・ なかなかでしたにゃあ」

「18分か、最高記録は14分だったか?」

「あの時は急いでましたからね」

通常ならば1時間はかかる危険で走りづらい山道だ。
それをルルは毎日僅か25分で下りきる。
別の車両でも、徒歩ですら40分もかからない。

車窓にはレンガや石造りの家や商店の風景が流れていく。
まばらに道沿いを歩く屍者達の姿が見える。
流石の彼女もここでは60kmにスピードを落とす。

「ここから30分程度か?」

「もっと飛ばします?」

「いや、このままでいい。朝食にしたいんでね」

「にゃふふ、分かってますよ」

フェルはガロッタから受け取った筒状の革袋を開け始める。
まず出てきたのは、短いオイル缶のようなキャップ付きの缶。
古紙のような色合いの粗雑なラベルに「GRAPE SPARKLE」と
印字されている。それをドリンクホルダーに置き、
次に収まっていた缶を取り出す。鉄色のそれには、
「BREAD AND CHEESE」と同じ色合いのラベルがある。
革袋脇のポケットから、スプーンの後ろに缶切りが一体となった
奇妙な道具を取り出して缶を切り始める。
蓋が開くと、中からは缶詰の中にみっちりと詰まり円筒状に
変形した、アルコールの匂いが強い白いパンと、
その上に乗る銀紙に包まれた真四角のチーズが一つ。
フェルはチーズを指に挟み、ルルに見せる。

「要るか?」

「ネズミの餌は結構ですにゃ」

フェルはそれらを膝の上に置き、最後の缶を革袋から取り出す。
前二つより少し背の高い缶。やはり褪せた色のラベルには
「MEAT SOUP MADE IN LUCIDVINE」と印字されている。
また缶切りで開けようとした瞬間、ルルの左手が素早く動いた。

シャリリ、という音と共に、ルルは見もせずに長い銀の爪で
缶の蓋を一瞬で切り開けた。缶切り特有の切り痕すら付いていない。

「悪いね」

「爪のない獣の苦労は見てられませんから。
 開けるの下手でこぼれますし」

「言えてるな」

ルルは左手の爪に付いた赤い汁を、ペロペロと舐めハンドルを握り直す。
開いた缶詰から、トマトの香りが漂う。中身はネクロランドの
定番のメニューであるミートスープだ。"何かの赤身の肉"を
トマトでじっくりと煮込み、ポテトやマカロニ等の具材を混ぜたもの。
フェリエッタはパンを齧りながら、缶を握りスプーンで食べ始める。

この独特な食料は、「ミールパック」と呼ばれている、
ネクロランド製の携行食糧だ。大き目の水筒入れのような
筒状の革袋に主食、スープ、飲料の3つの缶を縦に並べて収納し、
缶切り付きのスプーンと共に持ち歩く。軍用レーションのそれに近い。

これはガロッタが作りすぎて余った料理の保存に悩んでいた頃に、
レイダー姉妹がネクロランド西のジャンクヤードで廃缶詰工場を発見し、
そこから缶詰に蓋をする簡素な手回し装置、製缶機と未使用の缶を
大量に発見し城に持ち帰った。
それをガロッタが「特製フルコース料理好きなだけ」を対価に交換し、
ガロッタが余った料理の保存と販売を始めたのが始まり。

更にそれに目を付けたフェルが現世の軍用食糧のように
1セットに纏めてミールパックが完成した。
今や缶詰の製造技術はネクロランド中に普及し、
城以外でも様々な缶詰が販売されている。

商店やレストランの無い、川を越えたネクロランド西を探索する住人は
このミールパックを大変重宝している。レイダー姉妹も必ずこれを
3日分持ち歩いている。しかし現世への持ち込みも想定する故に
アルコールやパラベン等の大量の保存料を使用し、
賞味期限を長く取ったため味はダイニングで
直接提供される出来たての料理には遠く及ばない。
ガロッタはその味付けが少しでも良くなるよう試行錯誤はしたが。

それをフェリエッタはひときわ好んで食べる。
ルルにはわざわざ味の落ちた料理を選ぶ理由がいまいち分からない。
何故もう1時間早く起きて、湯気の立つ料理を喰わないのか。
時計塔街に差し掛かる風景を眺めながら、ルルの隣でフェルは
今も缶詰を美味そうに頬張り、缶入りのグレープスパークルを飲んでいる。
こんなものドッグフードだ、ルルはそう思っている。

「・・・毎度思いますが、よくドッグフードばかり食えますにゃあ」

「舌に合うし、安心感があっていい」

「殺したての方が安心感ありません? 血が滴ってる方が」

「こうして缶に入ってると毒の盛りようが無いだろう?」

「にゃふふ、という事は私とガロッタは無警戒と」

「そうだ、ガロッタと君は絶対に毒だけは使わない」

「ふふっ、よくお分かりですにゃあ」

「この世界にこれだけ居ればな・・・
 所で本当にいいのか? チーズは」

再び銀紙包みのチーズを指で挟むフェル。
この中身の赤色を帯びたネクロランド製チェダーチーズが、
塩気が強く、固く、とても美味くはないことを
ルルはよく知っている。

「随分勧めますが、そのチーズに何があるんですか?
 にゃあにゃあ、どうせそれだけは不味くてとても
 食えたものじゃないとかでしょう、食べませんよ」

左手をぴらぴらと振り、拒否したルルの横で
フェルはすぐさまチーズの銀紙を剥き、それを
ミートスープの缶に入れ、スプーンで細かく切り一口。
味わうように目を閉じて小さく唸る。

「・・・こうすると絶品なんだ」

「ご主人様の食べ物の趣味だけは分かりませんにゃあ・・・」

車は時計塔の右脇を抜ける。時計塔街南区は人通りも少ない。
ルルは再びアクセルを踏み込み、海岸へとミニを走らせた。


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ザアアァァッ・・・ ザァァッ・・・
灰色に近い青空の下に、波打つ音が響き渡る。
白飛びした太陽が海霧の隙間から差し込む。
ネクロランド南海岸。気温は一層上がり、32度を超していた。
この国としては真夏日の様相だ。

海岸から500m程離れた石畳の広場に、車を停めて2人はドアを開ける。
ルルは車を降り、手を頭の上で組んで背を伸ばす。
フェルは助手席に座ったまま、片足をドアから出して海を眺める。
左手には岩場が、右手側には白い砂浜が見える。
海は染めたように蒼が強く、キラキラと日光を反射していた。

車に鍵をかけ石畳を歩き出すと、
海と反対方向から地鳴りのような足音が響いてきた。
フェルはそちらを見るが、ルルは耳だけを動かす。

「あの足音は恐らく・・・」

「"ブル・レディ"に決まってますにゃ」

ルルの予想通り。道脇の林から、
太い丸太と、それよりも巨大なチェインソーを担いだ巨体が現れた。
身長3m、強靭だが細身の体躯に、ロング丈のTシャツワンピース。
紫がかった直線ボブカットの髪からは、大きな白い角が2本。
"HeLL GiRL"とプリントされたロックテイストな長い裾からは、
こげ茶色をした逆関節の巨大な蹄を持つ牛の脚部と尻尾が揺れる。
彼女が歩く毎に振動と、甲高い蹄鉄の音が鳴り響く。
その姿に向かってフェルは軽く手を振る。

「ハイラァ!! サバト!!」

声に気づいた猛牛の女性、サバトは担いでいた丸太を軽々と振り回して応える。
因みに彼女は悪魔の猛牛だ。胸部はルル並に"避弾経始"が良い。

「フェルにルルじゃん!! ハイラァー!!」

丸太を無造作に石畳に放ると、サバトは突進するように走り寄る。
知らぬ者が遭遇すれば、腰を抜かし逃げるような迫力がある。
彼女にとっては、軽く小走りしているだけなのだが。
3mの巨体の一歩は並の者の5歩を超える。

「にゃふふっ、ハイラァ、サバト」

「暫くぶりねルル!! もしかしてそっちもアレの用事?」

「ご名答。海底都市の要件ですよ。そちらもヴァリィ待ちですか?」

「そうそう、明後日の水底パーティーの受付場所作りよ!!
 今年もここに構えようと思って、ブレイズと切り出してたのよ」

言いながら、サバトは担いでいた恐ろしく大きなチェインソーを下すと
刃を下に突き立て、エンジンにもたれ掛かる。2.5mはあろうかというサイズ、
真っ赤なファイアパターンペイントのエンジン部からは、8本のパイプ。

ヘルブレイズ。サバト愛用の特注品V8チェインソー。
大型自動車に搭載されるV型8気筒エンジンを使い、
鉄塊の如くのチェーンを駆動させるモンスターだ。
重量は300kgを超え、ネクロランドでも扱えるのは数名しかいない。
それをサバトは恋人のように扱い、ひと時も離さない。
元より戦闘能力と耐久力の高いサバトが扱えば、鬼に金棒そのもの。
過去の戦闘では、重機関銃の弾丸すらことごとくその刃先で跳ね返し、
人間のハンターが持ち込んだ装甲車を乗員ごと輪切りにした。
振れば生卵のように人間は弾け、血を吸った数は数百にも及ぶ。

チェインソーの刃に隠れるほどの身長のフェルは、
この暴力の塊のような機械に毎度見惚れている。
サバトとは、何度も共闘しその破壊力を目の当たりにしている故に。

「いつ見ても素晴らしい、声を聞かせてくれないか?」

「もっちろん!! フェルはよく分かってるわね、ブレイズ!!」

サバトは刃先を蹴飛ばすようにしてヘルブレイズを持ち上げ、
構えると船の錨に使うような鎖で繋がれたスターターを勢いよく引く。
瞬間。

ヴォォォォォォォォンン!!!!!

駆動部のパイプから爆炎が迸り、地鳴りのような
エンジン音が鳴り響いた。ピストンが織成す衝撃で空気すら振動する。
続いて脈打つような低音が横隔膜に響く。
フェルはその音に首を回して聞き入っているが、
ルルは喧しさに両耳を横に逸らしている。

「ありがとう、今日も彼は元気そうだ」

「ふふ、ブレイズも喜んでるわ!!」

「そろそろ我々は行くとするよ、ヴァリィの姿は見えたか?」

「まだだわ、そろそろ来ると思うんだけど・・・」

「浜辺で会ったら合図しますよ。
 彼女は歩きが不得手ですから、担いでやって下さいにゃ」

「オッケー!! じゃ、まずはテーブルの切り出しからね!!
 椅子は何脚あればいいかしら? 10? 20?」

「5つもあれば十分ですにゃ、回転率良いですから。
 その丸太を縦に切ればベンチになりますし、
 それなら一脚で十分じゃないですか?」

「オッケ、それじゃ間を取って15個いくわよ!!」

そう言うと、サバトは転がした丸太をヘルブレイズで
ケーキのように切り出し始めた。
その光景を眺めたいフェルの手を引いて、
ルルは足早に海岸線へ向かう。


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「にゃあはぁ・・・ あのデーモン娘は数も適当なんですか?」

「ブレイズで何か切るのが好きなだけさ。
 サバトは意外に賢いぞ、待ち伏せ作戦もできる」

「2km先から見える巨体と3km先から聞こえるあのバカ武器で?」

「ああ、4年前のハンター迎撃では回してないブレイズで6人叩き斬った。
 叩き潰すと言ったほうがいいか、ひと薙ぎで6人だ。
 見事なものだった、中身を抜いた車を被るアイデアも」

「・・・ご主人様、まさかあの娘を
 待ち伏せ作戦にアサインしたんですか?」

「ああそうだ」

「・・・っっっにゃっひゃひゃひゃ!!
 まあ、気が合いそうですよにゃあ、突撃バカ同士で」

「曲の趣味もいい、デスメタルのレコードを集めてる
 それに移動の時は抱えてくれる、片手で腰を掴んでくれる」

「・・・扱いがぬいぐるみか何かですか!?」

「メタルファンに好まれるデザインの自覚はあるな」

「っくくくにひひひ・・・!!」

談笑し、歩を進めていると、波打ち際から少し離れた所から
先ほどより軽い、特徴的なエンジン音が聞こえてきた。
見ればそこには、無人の小型エンジン付きボートが一隻。
2人乗るのが精一杯という大きさの木製の船体はボロボロで、
所々が接ぎ木のように板を張られ補修されている。
乗員はおらず、大量の白い貝のようなモノが山になっており、
何故かそれは、意思を持ったように波打ち際を目指している。
前を歩くルルは首で方向を示し、フェルに振り返る。

「ご主人様、甲殻レディですよ」

人間が見れば怪奇現象としか思えぬ光景だが、
タバコの煙を吐き出し、フェルは当然のように言う。

「ヴァリィか、挨拶していこう」

岩を平らに削った道を外れ、ザクザクと砂浜を歩き始める。
ルルはあまり砂浜を歩くのは好きではない。
黒革のベルトシューズで歩くのには不向きであるし、
靴下を履かない故、靴に入り込む砂も不快だ。
その点、何処へ行くにも戦闘用の鉄芯入りブーツばかりの
フェリエッタには造作も無いだろう。

二人が歩み寄る木の小舟のエンジン音が止む。
波打ち際に座礁するように停止した船に積まれた貝のようなモノからは、
無数の白く細長い触手を出している。
それが年代物のエンジンに絡みつき、停止させ離れる。

船に大量に固着した、灰褐色の物体。
それはよく見れば貝ではなく、大量のフジツボだった。
人が乗る隙間もなくぎっしりと山状に生えた群生体は、
一斉にその口を閉じる。船体が意思を持つように、
ゆっくりと転覆し始める。そこに、黒いドレスの袖が見えた。
その袖からは、フジツボから出ていものより太い、
無数の触手が絡みついて太いツタのようになっている。
フェリエッタが駆け寄り、その奇妙極まる存在に声をかける。

「ハイラァ、ヴァラノモルファ!! 手伝うか?」

その声に反応したのか、船底から伸びる黒いドレスの触手が集合し、
バン、バン、と二度船体を叩き、手のような形になり空に親指を立てた。
フェルはその触手で象られた腕を掴み、全身で引き上げる。
そこに現れたのは、黒いドレスを纏った女性だった。

「っっっしょっと!! ありがとーフェル!!
 相変わらず暑いわね陸は・・・」

「ふふ、ようこそ我が領地へ。生憎我々はそっちに向かう所だった」

「フォッカ姉の舞踏会よね? 私もそれでこっちに来た所よ」

「にゃふふっ、ハイラァ、ヴァリィ。相変わらず良いドレスで」

「あーっルル!! ハイラァ!! 暫くぶりね!!」

ヴァラノモルファ。海底都市に住む人魚の一人。
小船に固着したフジツボの群れが女性としての意思を持ち、
そのまま"化物"となった存在だ。通称ヴァリィ。
真っ黒な濡れた長髪から覗く顔と大きな左目は端正そのものだが、
右目の眼窩からは3つのフジツボが眼球代わりに生えており、
下半身はそのまま船に群生したフジツボに繋がっている。
転覆した木製の船体はさながら大きなバッスルスカートのようで、
それが上半身のドレスに相まって気品ある淑女の風貌だ。
腕にあたる部分は触手、正確には蔓脚を絡ませ、腕を象っている。

彼女は普段海底に沈んで暮らしているが、陸生が得意な故に
年に一度の海底都市舞踏会に合わせ、こうして浜辺に上陸し、
舞踏会へと向かう陸上の客人の案内窓口役を買って出ているのだ。
その際は上下逆さまになり、古い船外機を小船部分に装着して
海上に浮かんでを航海し、ここまでやって来る。

ヴァリィはびしょ濡れの懐から大きな黒い帽子を出すと、
軽く水を払い飛ばしてそれを被る。

「知っての通り、今回も私が飛び入り参加の受付役よ。
 今日はまだ開催前のはずだけど・・・そうよね?」

「大丈夫ですにゃ。開催2日前です」

「あー良かったー!! 結構距離あるし、
 海の上だと時間が曖昧になるのよ!!
 前は着いたら当日だった位だし、ふふっ!!」

「向こうの広場にちょうどサバトが来てますよ。
 また毎年の如く、DIYにハマってますにゃ」

「良いタイミングだったみたいね!!
 じゃあ私も急ぐとしようかな・・・」

「その必要はない、向こうから来る」

そう言いながらフェルはおもむろに懐から長銃身の愛銃、
M1911A1カスタムを取り出し、撃鉄を起こし空中に向ける。

ダァン!! ダァン!!

二発の銃声が響き渡るや否や、遠くから響いていたチェインソーの音が止む。
間もなく、砂丘の向こうから砂煙を上げる巨体が走ってきた。
手を振るヴァラノモルファ、走りつつ手を振り返すサバト。
軽く手で会釈し、ルルとフェルは目的地の海岸洞窟へ向かう。



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カツッ・・ カツッ・・ ゴォォォ・・・

鉄板入りのブーツと、ベルトシューズの靴音が反響する。
ひんやりとした風が吹き込む、
暗い洞窟の中を二人は迷いもなく歩み進んでいく。

ピチャリ、ピチャリと水の滴る音と、潮の湿気。
洞窟内はお世辞にも快適な環境とは言えない。
だが気温は26度程で、外の日照りよりは幾分マシだった。

海沿いにある自然の洞窟をそのまま利用したここが、
ネクロランドと海底都市を繋ぐ「海底馬車乗場」だ。
洞窟は陸から海中へと潜るように続いており、
自然の海底トンネルのような構造になっている。
複雑な迷路のような内部には数個ランタンが設置され、
隣には各乗り場の木製の案内板がかけられている。

ランタンの仄かな灯りが
「Mermaid's Stagecoach 1st Tide(第一海底馬車乗場)」の
看板を照らしている。右に開けた5m程のドーム状の洞窟には
小さな地底湖のように海面が広がり、
橋のようにせり出した岩の先には2個の大きめの樽が浮かんでいた。
樽の上部には錆びたシャンデリアがロープで縛りつけられ、
燭台やドアノブが取っ手のように樽本体に取り付けられている。

この単なる空気が詰められた大樽こそが「人魚の水中馬車」だ。
海底都市に向かう住人達はこの樽に入り、それを人魚達が泳いで曳き、
水中にある空気が充填され気圧が保たれた各施設へと送り届ける。
現世の基準で考えれば危険極まりない"無動力潜水樽"だが、
人魚達が海底都市に地上の住人を安全に輸送する唯一の手段である。

これ以外の方法では岩場や海溝でルートが複雑に入り組み、
途中に海流の強い場所がある海底都市に辿り着く事は不可能に近い。
唯一例外として人魚達から「ブリキ缶のネズミ」と呼ばれる少年、
エゼキエルだけは自作の小型潜水艇で海底都市へ辿り着き、
そして伝説となっている。

「・・・今回も第三乗り場か?」

「多分そうですよ、国賓待遇の馬車は
 あそこにしか着けないそうですし」

フェリエッタとルルは更に洞窟を進む。
少し歩き、右に曲がった先に第二乗り場が見える。
先ほどよりも整備された乗り場には木製の桟橋が掛かり、
数個の樽、水中馬車が洞窟の上部に打ち付けられた
滑車からロープでぶら下がっている。

第二乗り場は今回の舞踏会のような、大勢が行き来する時期に限り利用される。
対して第一乗り場は少数名の定期便の乗り場だ。
「日が昇る時刻」と「日が沈む時刻」にそれぞれ
毎日一つずつ樽を曳いた人魚が行き来する。
樽に乗れる人数より多くが並んだときは、すぐに別の樽が水底から現れる。

更に奥へ進むと、何やら談笑する若い女性の声が響いてきた。
壁のランタンは「Mermaid's Stagecoach 3rd Tide(第三海底馬車乗場)」
を示した看板を照らしている。先を歩くルルがフェルを振り返る。

「・・・真っ赤な彼女はパファーフィッシュとお茶会のようですよ」

「流石テトロだ、早いな」

耳の良いルルは既に会話の内容まで聞き取っているようだ。
フェルの耳にも次第に彼女らの会話が聞き取れる程まで近づく。

「・・・それでアリスったら、悩んだ挙句結局3杯目のパフェまで食べてたのよ!!」

「あははは!! あなたといい勝負ねぇ、その娘」

先程朝食ビュッフェを食べてから行くと言っていたテトロの声と、
落ち着いた低音で話す、どこか気品ある雰囲気の声がする。

「・・・ん? 足音するわよ? 来たんじゃない?」

「マジで!? 向こうも早かったわね!!」

第三乗場の看板を通り過ぎ、右に曲がると15m程の広い洞窟が広がっていた。
そこにはテトロと、金と赤のグラデーションが美しい長髪の人魚が談笑している。
手にはフェルが先ほど車内で食していたのと同じ缶詰とスプーン。
先にフェルが軽く手を上げ挨拶する。

「ハイラァ、ゴルデリア。約束の時間には間に合ったようだね」

「にゃふふっ、ハイラァ、お二方」

「ようこそ、フェリエッタ様にルル様。馬車の準備は出来てますよ!!」

元気よく返す彼女はゴルデリア。海底都市の人魚の一人で、
魚の種類は"シーブリーム"、真っ赤な鯛である。
2m程の長身巨躯で、テトロとは対照的に引き締まったスタイル。
赤いロングドレスから見える金と赤に輝く魚の尾は、がっしりと力強い。
黒い瞳を輝かせながら、海面に浮かびミートスープの缶詰を持って食べている。

「テトロさん、随分早かったですにゃあ。
 私も結構飛ばしたんですけども」

「ふふーん、帰りは湖からの流れがあるから速いのよ!!
 アタシは浮かんでるだけ!! 勝手に流れつけるわ!!」

「にゃふふ、やはり水を得た魚には勝てませんにゃあ」

「それでゴルデリアにお土産の缶詰を持ってきたのよ。
 ガロッタの料理は仲間にも振舞いたいから!!」

ゴルデリアも随分美味しいと言うように、ミートスープの缶詰を頬張っている。
ルルはつい、フェルを横目で睨みつける。どこか得意げな目線をフェルは返す。

「凄く美味しいわ。地上の料理人も凄腕なのね!!」

「にゃあ、気に入って頂けたのなら何よりですにゃ。
 シェフにも伝えておきますよ」

ゴルデリアは食べ終わった缶に海水を満たし、それを飲み込む。
缶とスプーンをドレスの腰ポケットへ大事そうに仕舞い込み、
するりと波も立てずに水面下に潜る。間もなくして洞窟の水底から、
大きな水音を立てながらひときわ大きな、ハッチの付いた樽が姿を現した。
岸で頬杖を着いていたテトロが、ゆらりと泳ぎ水密扉のハンドルを回す。
浮上した大きく豪華な潜水樽は、木の桟橋に入口を付けて静止した。

「さあどうぞ、ネクロランド国王夫妻殿」

ゴルデリアは御者として、丁寧にフェルとルルをお辞儀して招く。
二人も彼女にお辞儀を返し、身をかがめて海底馬車へと乗り込む。
中には深紅のベロア生地で作られたソファがぐるりと
樽の内周を囲むように設置されていて、4つの覗き窓もある。
酸素を消費しない為に電気式の小さなシャンデリアが天井部に吊られ、
さながら小洒落たバーのVIPスペースのようだ。

乗り込んだ壁側のハッチが閉められ、水密扉が閉鎖される。
二人が腰掛けると、一段低くなった内周の中央、樽の底が開いた。
内圧の関係で内部に水は入ってこないが、海中が直に露になる。
その穴から、テトロが顔を出す。

「お二人様、準備はオッケー? えーと、時計よしと!!」

「ああ、何時でも大丈夫だ」

「座り心地もいいですよ、涼しいですし」

「じゃ、出発するとしますか!!
 海底都市へ地上国王夫妻様のご案内ー!!
 最初の停車駅は"セレスト"でーす!!」

底のハッチが閉まり、水中馬車が動き出した。
ゴルデリアが先のロープを引き、テトロが後ろから押してバランスを取る。
樽には浮力を調節する為、煌びやかなシャンデリアや船の錨が
無数に吊るされている。

洞窟を後にし、水中馬車は真っ暗な深海へと潜航していく。


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lala-lala... lala-lalala...
心許ない木製の船殻越しに、エコーのような歌声が響き渡る。
"人魚の歌"。伝説では幾多の船乗りが、
死の予兆として聴いたとされる、忌み嫌われた歌。
しかしルルとフェルにとっては、聴き慣れた歓迎の歌だ。
海底都市までの移動時間は50分程。その間乗客が飽きないように、
人魚の御者達は思い思いの歌を歌いながら樽を曳く。

ゴルデリアはパワーがあり、歌も上手く、それ故国賓待遇の者が
海底都市に来訪する際の専属御者として任命されている。
ただ、体格が大きすぎる為樽内に入れず、
乗客に何かあった時の対応が難しい為常に小柄な者が補助につく。
ルシッドヴァイン城と最も交流の深いテトロがその役割だ。

水中馬車が潜航を開始して15分。深度計は35mを示している。
ルルは歌声に聞き入りながら、窓の外の海中を眺めていた。
時折異形の魚であろう生物が、群を作り泳いでいく。
フェリエッタは目を瞑り、静かに歌声に合わせ首を動かしている。

その時、足元から一段低くなった底部ハッチから水が染み込むと、
気泡を上げながらそれが樽の外側へと開いた。
水中馬車は停止し、窓の外ではゴルデリアがロープを結び始める。
バシャリと水音を立てながら、テトロがハッチから顔を出す。
それを聞いて中の二匹はそちらに目線を向ける。

「ご乗車の皆様ー、当車は只今より空気補充にて停車いたしまーす!!」

テトロはそう言うと再び海へ潜り、少し離れた所に浮いていた物体へと向かう。
水中馬車の運行ルートには、所々に海底にロープで繋がれた小さな樽がある。
この樽は底が開いていて、定期的に海面へ出して中に空気を入れている。

その一つをゴルデリアとテトロが抱え、水中馬車の下面で裏返す。
ボコボコと音を立てながら、水中馬車の内部へと新鮮な空気が補給されていく。
こうして15分から20分毎に新しい空気を補充する事で、
乗客が酸欠になるのを防いでいる。
水に包まれた海底都市では、魚と哺乳類の立場は逆なのだ。
さながら、水槽の中の魚へ酸素を与えるために、
掬った水を上から注ぎ込むように。
無論、酸素残量計やエアタンクなど洒落たものはない。
何か内部に異常があれば、外壁を叩き続ける事でそれを伝える。

空気の補給が終わり、再び水中馬車が動き出す。
ゴルデリアは先ほどとは違う歌を歌い始める。
開け放ったままの底部ハッチから、テトロが顔を出した。

「どうですお客様ー? 深夜に汲み置いた新鮮な空気ですよー!!」

「涼しくて最高だ、肺呼吸の生物として感謝するよ」

「ふふふっ!! 今朝はルルに城でこれをやってもらったのよ。
 エラ呼吸の生物として、ね!!」

「お互い持ちつ持たれつ、という奴ですにゃ。
 水の外では足を、水の中ではヒレを」

「あーそうそう!! 今年から移動が暇だからって事で、
 馬車にパンフレット置いたのよ!!
 そこ!! 椅子の下の引き出し!!」

「にゃあ、これは窓の横にホルダーで置いたほうが良いですね」

「言うと思ったわ!! サプライズがあるのよ」

促され、ルルとフェルは足元の引き出しを開く。
そこには招待状と同じ海底都市の技術で作られた耐水紙の冊子と、
横にガラス瓶に入れられたカラフルな何か、
そしてフェルが車で食べていた缶詰がまた出てきた。
本日3度目のミートスープ缶に思わずルルは眉間に皺を寄せる。
フェリエッタはガラス瓶の蓋を取り、中身を手に取り出す。

「・・・キャンディか?」

「正解!! "セレスト"の空気室で作ったキャンディよ!!
 100%海底産、お土産にピッタリだと思って!!」

フェルは躊躇なくそれを口に放り込む。
舌で転がして味わっている。

「美味いな、これは人気商品になる」

「でしょ!! 良かった!!」

「丁度私のような喫煙者には、馬車の1時間が口寂しい。
 その点でもこれは助かる。良いアイデアだ」

「それは考えてなかったけど、いいわね!!
 言われれば馬車内は火気厳禁だし」

それを見てルルは、彼の警戒心の線引きの曖昧さに悩む。
毒を警戒する割、こういったモノにまるで無頓着だ。
海底都市製のキャンディ。着色に使われているのは誰の何の分泌物か。
それを渡しているのは、猛毒のフグ人魚だ。
最悪吐けばいい、ルルも諦めてそれを舌に乗せる。

・・・甘味はあるが控えめで、僅かに塩気を感じる。
独特な葡萄のような、苺のような味わい。
不味くはない。そして、随分と溶けるのが遅い。
毒は特に感じない。

「・・・意外といけますにゃあ。材料は?」

「ローズコーラルって知ってる?」

「珊瑚ですか?」

「そうよ!! こっちの皆はよく砂糖代わりに使うんだけど、
 それをガロッタから教わったレシピでキャンディにしたのよ!!
 その名もコーラルドロップよ!! 良いでしょ!!」

「私達はバケモノですから大丈夫でしょうけど、
 生者グレードの確認取れますかにゃあこれ」

「ふっふっふ!! 問題ないわ!!
 前にヴォルフガングが城の定期健診に来てたでしょ、
 あの時に調べて貰ったのよ!! 問題なしって!!
 なんか難しい事を色々言ってたわ、
 哺乳類も正常に消化できるとかなんとかって」

「流石テトロだ、毒性には人一倍気を使ってくれる」

「あったりまえよ!! 毒を持つ者ですもの!!
 アタシには平気でも、誰かが食べたら泡を吹いて浮かぶとかよくあるわ!!
 だからそこら辺もちゃーんとやっておいたわ!!」

「それにしても長持ちだな、このキャンディ」

「人魚も食べるから、そこらへん苦労したわ!!
 "水で溶けずにお口でとろける"ってね!!
・・・あ、2個くれる? アタシとゴルディの」

キャンディをテトロに手渡すフェリエッタを見て、
ルルは少し納得した。彼は意外な程住人が何を考えているのか、
それを感覚的に知っているようだ。

テトロが一つを頬張りながら水に潜り、
キャンディを馬車を曳いているゴルデリアにも渡す。
ルルには水越しにくぐもった人魚の声も聞き取れる。

・・・何か不穏な会話のようだ。
ルルは2度、窓ガラスをノックする。
すぐにテトロが振り向き、足元から顔を出す。

「はいはーい!! ルル、呼んだ?」

「頭上に何か?」

「えっとね、ゴルディが上からスクリュー音がしたって言ってたのよ。
 すぐに止まったらしいけど」

「・・・ヴァリィ以外に船外機使う人魚、いますか?」

「いないはずよ。おかしいわね、ここは海底都市への航路だから、
 海上の通行は禁止になってるし、そもそも来れないはずだけど」

ジャコッ。フェリエッタが腰から銀の水中二連銃を抜き、
弾薬の装填を確認する。それを見たテトロは手を上げて制す。

「大丈夫よフェル、ここは水深45メーターだから肺呼吸は窒息するわ。
 オマケに15メーターに強い潮流があるの。潜水艦も来れないわよ」

「ああ。だからこそ備えるに越したことはない・・・」

「安心して!! ゴルディもアタシも一応戦えるから!!
 それに何かあればすぐ街から増援が来るわ、
 人魚は血の匂いに敏感だから」


不穏な会話をしていると、
ゴルデリアがエコーのような声で海中からテトロを呼ぶ。

「あ、そろそろ空気の場所みたいね」

「一応、気を付けて下さいにゃ」

テトロが潜り、人魚達はまた樽を取り、水中馬車への空気補充を始める。
ボコボコと空気が満ちていき、何事もなく作業を終えまた水中馬車は動き始める。
窓の外には暗闇が広がり始め、微かに岩肌が海中に見える。
テトロがまたハッチから顔を出す。

「ここまで来れば安心よ、渓谷の中は人魚以外通れないわ」

「では、暇つぶしにこいつを読みましょうかにゃあ」

向かいの席のフェルは3個目のキャンディを口に運んでいる。
ヘビースモーカーには余程口寂しいのだろう。

ルルは傍らに置いていた、招待状と同じく削られた貝殻や
甲殻類の脱皮殻の紙で作られたパンフレットを手に取る。
現世にも劣らぬ美しい印刷だ。傾けると七色に光る。

最初のページには、海底都市の理念が書かれている。
"悲劇は上りゆく泡に、我らは喜劇と共に底へ -Fokka the Witch"
荒々しい字体だらけのネクロランドとは変わり、
上品な筆記体で描かれている。

続いて、海底都市の全体図。
水深50メーターの海溝を抜けると、沈没船街がある。
点在する沈没船が多数描かれているが、地上向けの
パンフレットに名前が載るのは3隻のみ。
ここ以外には空気がなく、また水中馬車の発着場もない。
唯一この他に行けるのは海底都市の領主、魔女フォッカの宮殿である洞窟だ。

最初の一隻は「セレスト」、1900年代初頭に現世で行方不明となった
巨大な豪華客船らしい。船底を下にそのまま沈んでおり、
損傷が少なく、海底都市の中で最も広い空気室を持つ。
"空気室"とは文字通り空気が満たされ、地上の住人が呼吸できる区画。
潜水艦や海底基地のように、快適に過ごせるよう整備されている。
商業区や劇場もあり、海底都市舞踏会の会場はこの船だ。
地上の豪華客船同様、優雅なひと時を過ごせる。

次の船は「プレガトリオ」、"煉獄"の名を持つ1830年代の帆船だ。
4層130門の大砲を備えていた超巨大な装甲戦列艦であり、こちらは上下逆に
沈没している。そのおかげで多くのガンポート、砲門が人魚達の出入口となり、
船底で気密が保たれている為空気室が備えられている。
曰くこの船は極地への探検の最中座礁し、悲劇的な結末を迎えたらしい。
底から数えて2層目までの砲門には耐圧窓が後付けされており、空気室となっている。
それらは内部で区切られ個室となり、海底都市一番の高級ホテルとなっている。
今回の宿泊はここになる予定だ。

最後は「ジャックドー」、1700年代の海賊船であり、横倒しになって沈没している。
内部の8割は水没しているが、船長室付近の船底が奇跡的に無傷であり、
そこを空気室としている。他二隻に比べ圧倒的に小さいが、海底都市一番のレストランだ。
特に海へと沈み現世から失われた貴重な酒類を人魚達が拾い集め、
それを提供している。どちらかと言えばお洒落なバーに近い。
主に人魚達が憩いの場として利用しており、
陸の者が海底都市の風土を最も身近に感じられる人気スポットである。


そうしてルルがパンフレットを読むのに気を取られていた、その時だった。
突然、潜水樽が激しく揺れ、外のゴルデリアが低い声で呻いた。
揺れた衝撃で空いたハッチの水が内部で飛沫を上げる。

「・・っ!? ゴルディ!?」

テトロが飛沫を上げるのも構わず飛び込む。
すぐさまルルは側面ハッチの窓に張り付き、外を見る。
ゴルデリアが首から出血している。何かを外そうともがいている。
テトロもそれに手を貸し、骨のような素材で作られた鋸刃のナイフで
二人掛りで必死に何かを切断しようとしている。
フェリエッタも窓に張り付き、状況を確認する。
一目見て、フェルは海中に向け叫んだ。

「それは人間の釣具だ!! 切れるか!?」

「これ糸じゃない!! 針金よ!!」

「それじゃ切れません!! 私のナイフを貸します!! テトロさん早く!!」

ルルが予備の鋸刃のナイフを取り出して差し出すと、
跳ねるようにハッチから飛び出したテトロがそれを掴む。
片手で馬車を抑え、片手でワイヤーを掴み抵抗するゴルデリアに、
テトロが近づいた瞬間。

バリイィッ!!

暗い海中に鋭い衝撃音と閃光が走り、人魚達がビクリと跳ねた。
電流だ。ワイヤーから電流が流れたのだ。

「み゛ゃっ!?」

金属の窓枠に触れていたルルにも電流が走り、
吹き飛ばされて赤い座席に倒れる。
樽の外の人魚達は力を失い、ゴルデリアの手が樽から離れる。
テトロはナイフを落とし、頭を下に海中に沈んでいき、
ゴルデリアはみるみる海面へと巻き上げられていく。
フェルはそれを見て、言葉も選ばず叫び立ち上がる。

「野郎、ショッカーを使いやがった!!」

「ご、ご主人様、何を!?」

バシャアアンッ!!

どうにか起き上がろうとするルルに答えもせず、
フェルは躊躇もなくハッチから45mの海底に飛び込んだ!!

白い泡に彼の視界が包まれ、獣の耳に水が入り音が遮断される。
真っ暗な海中をぎこちない平泳ぎでフェルは揉まれるように藻掻き進む。
黒い長髪と、着たままの燕尾ドレスの裾が亡霊のように揺らめく。
海面を見上げると、かなり上にゴルデリアの姿があった。
息を吐きながら浮上し、どうにか釣り上げられぬよう抵抗する彼女まで
20mの距離に近づいた。腰のホルスターから銀の水中二連銃を抜く。
漂うように両足を投げ出し、沈みながら両手でグリップを握り締める。
水中で目がぼやけ、殆ど何も見えない状態で狙うは・・・2mmもないワイヤー。

ドシュンッ!!

銃は爆発したように泡を吹き出し、鋭い銀の杭弾を撃ち出す。
泡の航跡が海中を切り裂いていく。狙いは正確だった。しかし。

ビイィンッ!!

・・・水の抵抗で威力が落ちた杭弾は僅かに逸れ、ワイヤーに弾かれた。
左の銃身の弾を失い、残るは右の一発。
右手に銃を握ったまま上へ更に泳ぎ距離を詰めようとするが、
潮流に遮られ、また元々泳ぎが上手くないフェルの力では到達できない。
息も限界で、このままでは溺死する。
その時、後ろから沈み始めたフェルの左手をテトロが掴んだ。

「あんた無茶よ!! イカれてる!!」

「もっと上に近づけろ!!」

「水圧で"ポムグラネイト"するわ!!」

「構わん!! 上げろ!!」

最後の泡を吐いて海中でフェルが叫ぶ。テトロも覚悟を決める。
テトロは凄まじい勢いでゴルデリアまで5mの距離までフェルを掴んで飛ぶように泳ぐ。
気泡を立てながら、海中を鮫のように猫とフグの二匹は突き進む。
そして、限界まで近づいた瞬間にその手を放り投げるように離した!!
海面が近くなり、周囲が明るくなる。ゴルデリアの姿がよく見える。
もう一度両手でしっかりと銃を構え、狙うは彼女がワイヤーを握る指先3cm先。

ドシュンッ!!

白い泡が一直線に尾を引き、そして甲高い金属の破断音が響いた。
杭弾が見事にワイヤーを切断したのだ。ゴルデリアが素早く泳ぎ去る。
頭上には、FRP製の白い船底が見える。
フェルは弾切れの水中二連銃を左手で腰に収め、右手で懐からM1911A1拳銃を抜く。

ドゴッ、ドゴッ、ドゴッ・・・

3発の弾を吐き出した所で、拳銃が作動不良を起こした。
水の抵抗でスライドが下がりきらず、自動装填が働かない。
.45口径の弾丸は5mも進まずに沈んでいく。
陸上用の銃は水中で殆ど効力を成さない。知っている。
しかし彼は眼前に敵がいれば、撃たずにはいられない。
最早息は尽きており、銃を収める力もない。
愛銃が手から離れ、真っ暗な海底に先に沈む。
それを追うようにフェル自身も沈みゆく・・・

その時、沈んでいくフェルの下から、
頬を膨らましたテトロが大急ぎで弾丸の如くに泳いできた。
沈むM1911A1を掠め取るように拾い、フェルに抱きつく。
そして彼に口移しで、水中馬車から吸ってきた空気を吹き込んだ。
人魚のキスで閉じかけたフェルの目が開く。

「大丈夫!! ルルに許可は取ったわ!!」

ウインクしながらフェルの手を取り、
息を吐きながら水中馬車へと二人は戻っていく。

その真横をゴルデリアが真っ赤なドレスと髪を靡かせ、
両手に光る物体を握り、怒りの形相で真っ直ぐに船影へ突進する。
手を振り上げ、投擲した物体はフェルが放った2発の銀の杭弾。
水底に落下していく杭弾を拾い上げていたのだ。

人魚の遊泳力と水中での投擲技術は、
火薬を遥かに超した速度まで弾丸を加速させる!!

鈍い音を立て杭弾が船底を貫通した瞬間。

バシャアンッ!!

血を吹き上げた人影が一つ、海面へ派手な飛沫を上げ落下した。
分厚いFRP製の船底を貫通し、船上にいた者の一人を串刺しにしたのだ。
じわじわと、輝く水面を血が鮮やかに染め上げていく。
現世のハイテク船は、浸水しながら猛スピードで死亡者を置き去りに逃げていく。
死んだ人間と血の匂い。他の人魚たちが気付くのは時間の問題だろう。
あんな30ノットにも満たぬ喧しい船は、海の姉妹達に追えぬはずもない。
もう5分もせずに、海底都市に新たな家が加わる事になる。

抑えた首元に刺さった太い釣り針からまだ血を漂わせるゴルデリアは、
満足げにその光景を見上げると、くるりと身を翻して海底へ戻っていった。


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水中馬車とは名ばかりの樽に一匹残ったルルは、
内部を前後左右に、静かに歩き回り移動していた。
運び手を失った樽は海流に揺られ、至極不安定になっている。
傾きに対し、移動し体重をかける事でどうにかバランスを保つ。
ここでルルが離れれば、この樽は転覆してしまう。
そうなれば、底から一気に内部の空気が海中に吐き出され、
50メートル上方の海面へ急浮上する羽目になる。
水圧差による致命的な内臓へのダメージは避けられないだろう。
特に今日も今日とて、無謀なヒロイズムに唆されたパートナーは
無事では済まない。何を考えて。いや、あいつは何も考えていない。

彼の行動理念は正義感や弱者の救済ではない。
目の前に現れ、秩序や正義や均衡という常套句を並べ、
昔の自身のような非力で疎まれる、人で無き者を蹂躙する人間。
それらに対する圧倒的な憎悪と復讐心、殺戮衝動の結果だ。
その過程で救えるものを自らの慰めとして救おうとする。
故に、彼は英雄として他者の目に映る。

殺戮を楽しむ為に殺す、ルルと大して変わらぬ理念。違うのは、
快楽に抗えず刃を振るうのか、怒りに抗えずに銃を振るうかのみ。
それを彼は"正義"だと、恐らく知りながら妄信している。

そんな事を考えていると、樽の外から物音が聞こえた。

バシャアッ!! ビチャリ。

開け放たれたハッチから、濡れるという表現が相応しくない程に
水を含んだ黒いドレスの袖が突き出した。樽が安定し始める。
ゴルデリアが掴んだのだろう。無謀だが、救うと決めればフェルは救う。
ルルは身を屈めてその手を取り引き上げる。
激しく咳込みながら、濡れてだいぶボリュームの減った長髪が現れる。
そのまま転がるように、座席のベロア生地が濡れるのも構わず
行儀悪く足を乗せもたれ掛かる。

「にっひひ、ご主人様。全く今回も随分と無謀な作戦ですにゃあ!!」

「ああ・・・ だが全員無事だぞ・・・」

「2発目の電気ショックが来たらどうするつもりだったんですか?」

「来る前に当てるつもりだったさ・・・ 当たったしな・・・」

「鉄砲持った無鉄砲とはこの事ですよ、脆弱なる命知らずです」

下から気泡が溢れる。また空気を補充しているようだ。
だいぶ浸水していた内部の水が掃けていく。
少し置いて、ハッチから真っ赤な髪と大きな頭が現れた。
ゴルデリアだ。体格が大きいので、首までしか樽に入らない。

「フェリエッタ様!! ご無事ですか!?」

「ああ・・・ そっちは大丈夫か?
 首をやられたように見えたが・・・」

「平気です、私はここに太い血管が無いので・・・
 フェリエッタ様こそ、"ポムグラネイト"しておられませんか!?
 陸の生き物には危険な深さでしたから・・・」

「テトロも言ってたが、その・・・ポム何とかって?」

「深い所から急に上に行くと、最悪内臓や目玉が飛び出すんですよ。
 水圧差によるものだとか・・・ 詳しいことはわかりませんが、
 我々海底都市の者はあの怪我をそう呼ぶんです」

「成る程・・・ 問題なさそうだ、目は充血したがね・・・」

肩で息をしながら、元々血のように赤い眼でウインクする。
それを聞いてルルは思わず堪え切れず吹き出した。

「んっ・・・っにっひゃひゃひゃ!! それは元々ですにゃご主人様!!」

「自分で自分の眼の色は・・・ わからんからな・・・」

そのやり取りを聞いて、ゴルデリアも安堵の表情を浮かべる。
同時に申し訳なさそうに俯いた。

「しかし・・・地上の、まして国王夫妻を危険に晒してしまいましたね・・・」

「いいんだ、海底都市の上は地上、地上から来た敵は我々の責任だ。
 それに私は突然泳ぎたくなっただけだ、そちらに何の落ち度もない」

「ご主人様はバカですから、ネコの癖に飛び込むんですよ。
 そして毎度こう、濡れた昆布みたいになります」

あの状況の後でふざけ尽くす二人に、ゴルデリアも表情が綻ぶ。

「ありがとうございます。ええと、何か出来ることは・・・」

「最初の行先はセレストの予定だったが、フォッカの洞窟に変更できるか?」

「フォッカ様の? はい、可能ですよ!!」

「あいつらが居ては舞踏会の開催に懸念があるだろう・・・
 策を思いついた、フォッカと相談したい」

「かしこまりました。では先にフォッカ様の洞窟へご案内します」

ゴルデリアが潜り、入れ違いでテトロが顔を出す。
水中馬車は釣り針を警戒し、岩だらけの海溝の底スレスレを這うように、
そしてスピードを速めて動き出す。

「フェルッ!! ルル!! 大丈夫!?」

「ああ、少し耳に水が入ったかな」

「待ってる間にパンフレットを読み終わりましたよ。
 言う通り、いい暇潰しになりますにゃあ。
 キャンディもご馳走になりましたし」

「ああ良かった・・・ しっかしとんでもないわねフェル・・・」

「・・・泳ぎには自信がないんだが、意外に上手かったか?」

「ここ水深50メーターよ!? エラも無しに生身で飛び込むなんて考える!?
 アタシが陸に飛び上がって、浜辺を転がるようなものよ!!
 息は持っても"ポムグラネイト"する危険だって・・・
 え、ちょっと待って、泳ぎに自信ないの!? どこまで無謀なのよ!?」

「目の前で人間が化物を襲ってたら、宇宙空間でも生身で出るさ」

「にゃああぉ、ご主人様なら普通にやりますにゃあ、それ」

「とはいえ助かった。ありがとうテトロ。
 君の一息が無ければあそこで溺れて終わりだった。
 ゴルデリアを救えたのも君の泳ぎあってこそだ」

「ま・・・まあね!! やる時はやるのよアタシも!!
 それより口痺れてない? 私フグよ? 毒魚よ?
 テトロドトキシンのテトロよ? 青酸カリの千倍なのよ?」

「大丈夫だ。非常時とはいえ申し訳ない」

「にゃっふふふ・・・ テトロさん、ご主人様のキス、どうでした?」

「え・・・!? いや、アレは陸の者が溺れた時のマナーよ!!
人魚の教えにあるのよ、"肺持つ者に慈悲の一息を"って!!」

「いえ、ド下手なんですよ、ご主人様のキス」

「はぃ!?」

「もう少し何というか、その、感情を込めれないものですかにゃあ?
 毎晩こっちが創意工夫を凝らしても儀式的というか・・・
 そんな感じでしたでしょう? 誰に対してもアレなんですよ。
 この私に対してそれなんですからにゃあ、こいつ」

「あ、あー・・・」

テトロは思わずフェルの方を見る。
ルルも横目で嘲るような視線を送る。
フェルはバツが悪そうに、車内禁煙も忘れて
懐からタバコの箱を取り出し火をつけようとする。
しかし肝心のタバコは一本残らず海水漬けになっており、
萎れたそれを咥えてトレンチライターを擦るが、水飛沫が飛ぶのみ。
煙の代わりに水が滴る、折れたタバコを指で挟み、
フェリエッタは息を吐きながら目を細め呟く。

「・・・塩辛いな」

テトロもルルも思わず盛大に吹き出し、水中馬車は爆笑に包まれた。


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潜水樽は切立った崖のような海溝の隙間、
森林のように海藻が生えたアーチを抜ける。

「お待たせしました!! ようこそ我らが海底都市、
 "Depth City(デプス・シティ)"へ!!」

テトロが到着を告げ、ルルとフェルは窓の外を見る。
その先に広がっていたのは、無数の沈没船が着底した
広大な海底だった。その街は青や緑に発光する
クラゲのようなヒドロ虫の照明で幻想的に明るく、
色も形も様々な人魚達が船から船へと行き交っている。

ゴルデリアが曳く水中馬車に、次々と人魚が集まってくる。
青と紫の大きなヒレを持つ人魚、白に黒ラインの人魚。
皆"国賓"の到着を歓迎し、並泳し手を振る。
樽内の二匹も手を振り返す。

眼下には巨大な豪華客船が見える。
あれがセレストだ。あちこちから泡を吹き上げ、
沈没船だが窓からは黄色い灯りが輝いている。
そこから進行方向向かって少し右側に見えるのが、
宿泊先のプレガトリオ。こちらも美しく輝いている。

水中馬車は街の上を通過し、
砂の上にある巨大な岩壁の根本へと潜航する。
紫に光るヒドロ虫がアーチ状に光る中を潜り、
全幅15m程の海底洞窟を暫く進んでいく。
突き当りまで行った所で、浮上を開始する。

ザバアアアッ。

そして1時間ぶりに、水中馬車は海底洞窟内の湖面、
随分恋しくなった空気中へと大きな水音を立てて浮上した。
ここが海底都市の領主、魔女フォッカの宮殿洞窟だ。
ゴルデリアが石造りの橋に水中馬車を寄せ、
樽に打ち付けられたカラビナへとロープを結び固定する。
テトロが壁側の水密扉ハンドルを回して乗降用ハッチを開く。

「長旅お疲れ様でした。頭上にご注意を、国王夫妻殿」

「ああ、ありがとう」

「にゃふふ、楽しかったですよ」

「あ! ルル様!! こちらを・・・」

軽く手を振って去ろうとするルルを、ゴルデリアが呼び止める。
ルルが振り返りちらりと見たゴルデリアの手には、見慣れた短剣があった。
ゴルデリアが吊られた時、テトロに渡した鋸刃のナイフだった。
海底に落下し、失くしたものだと思っていたが。
くるりと柄を向けたそれを、ルルは微笑んで受け取る。

「・・・にゃあにゃあ、無理に拾わなくても良かったのですよ」

「海底は我々の庭ですから、失せ物はさせません」

「にゃふふ、感謝いたしますにゃ」

ゴルデリアは御者の役目を果たし、丁寧にお辞儀をする。
狭いハッチをくぐり、二人は橋を渡り水中馬車を降りた。
やっと狭い樽の中から解放され、ルルは思い切り深呼吸し伸びをする。
暗い洞窟の中は何の香りもなく、ただひんやりと心地よい空気が満たされていた。
微かに足元が見えるのみの光量で、広大な暗闇が広がっている。

前を歩くフェリエッタは、まだびしょ濡れのままだ。
おもむろに懐から先ほど失いかけた愛銃を出し、
弾倉を抜き内部の海水を振り出す。スライドを前後させ、
動作不良により薬室に引っかかった空薬莢を抜き取っている。
彼は自身が濡れた事よりも、銃が濡れたことを気にかけている。

「自分より銃ですか?」

「ああ、銃がないと何もできんからな」

ルルがフェリエッタの真横へ歩み出た時、両脇が青紫に輝いた。
イソギンチャクのような物体が壁面に照明として張り付き、
それが美しく光を放っている。その手前へと、人魚の姿が映りこんだ。

「はいはーい!! ここからはアタシが付いていくわ!!」

テトロが二人の「上へ」泳ぎ出た。天井を泳いでいる。
泡の軌跡を引き、空間を泳ぎ回る。物理的にありえない光景だ。
ルルはトリックを知りながら、テトロが泳ぎ回る空間に軽く指を触れる。
弾力を持った膜が、水族館のドームトンネルのように空気と水を隔てている。
肉眼ではそこに膜があるのかも判別できない程の透明度だが、
この"バイオフィルム"は銃弾すら通さない程に強固でしなやかだ。
しかし人魚が通る意思を持って触れれば、
その細胞に反応し一滴の水も漏らさずにすり抜けられる。
この街の多くは、魔女フォッカの卓越した"魔法"、
現世で言う所のバイオテクノロジーに支えられているのだ。

後ろ手を組み歩くルルと、腰のベルトに親指をかけ歩くフェル。
二人はテトロに付いていくように、幻想的な海底洞窟を歩いていく。
暫く歩いていると、天井から滝のように水が流れ落ちている所に行き当たる。
海底洞窟の強固なセキュリティ、万一人間がここに侵入しても、
この水流は爆風も銃弾も通さない。触れればたちまち流されてしまう。
そして、この空気の通路はフォッカの意思一つで水深60mの水底へと変わるのだ。

水流は激しく、歩いては通れない。その前で少し立ち止まっていると、
突然滝がまるでカーテンを開くように左右に割れた。
中は更に妖しく、紫や青、蛍光グリーンの光で溢れている。
テトロがするりと二人の頭上を泳ぎ、中央に向け軽く一礼する。

「フォッカ姉様ー!! ネクロランドより国王夫妻が来ましたよー!!」

横並びで招かれるように中へと入る。
果てが見えない程の巨大なドームの中央に、大きな黒いシルエットが浮かぶ。
通路と同じバイオフィルムで作られた玉座の水槽の中に彼女はいる。
・・・否、正確にはドーナツ状の空気室の通路に
陸の二人が閉じ込められていると表現するほうが近い。
あまりにも巨大な為、誰もが錯覚してしまう。

何処までも続くような長く美しい、青みがかった黒の長髪。
アンバランスな程に大きい、水に揺らめく魔女の尖り帽子。
黒のゴシックドレスを纏う、5mはあろうかという長身で肉付きの良い女性の体。
大胆にくり抜き、レースをあしらった大きな胸元に輝く無数の宝飾品。
ゆらりと振り向いたのは丸眼鏡をかけた、切れ長の眼をした美女だった。
体格に比べ涼し気でスリムなその顔が、長い黒髪の隙間から覗く。
海底都市の女王に相応しい、威厳と気品、そして強大な威圧感。
全てを手中に収める海の女王。まさにそのもの。

・・・そのはずの端正で大人な表情が、子供っぽい悪戯な表情へと変わる。
困ったように目を細め、にやりと鮫のノコギリ歯を見せた。

「あらぁ!! ようこそフェルにルルー!! 待ってたわよぉ!!」

「ハイラァ、フォッカ。最近ご無沙汰していたね」

「にゃふふ、ハイラァ、フォッカさん。
 何時見ても美しいですにゃあ。
 この街も、住人も、あなた自身も」

「うっふふふふ!! ルルも変わらずふっかふかねぇ!!
 ずっと座ってて疲れたでしょー? とりあえず座っちゃってよ!!
 飲み物はいつものアレでいいかしらぁ?」

「ああ、ありがとう」

「頂きますにゃ」

そうフォッカが言葉にした瞬間、ルルとフェルの一歩後ろに
真っ赤なベロア生地のソファが洞窟の岩盤からせり出し現れた。
これも彼女の"魔法"の一つ。床に埋まった巨大な貝の一種から、
ソファが生体的に吐き出されたのだ。
慣れた二人はそれに当然の如くに腰掛ける。

「ポラちゃーん!! お客様にいつもの、頼むわぁ!!」

フォッカが配下の者を呼びつけた。
するとドームの脇から、水中をするりと通り抜け一人の人魚がやってきた。

「ただいま参ります、フォッカ様」

黒から白へと変化する美しいグラデーションの長髪。
細身の女性。顔は端正で、鋭いがどこか優し気な雰囲気の瞳。
白黒のラインが入った燕尾ベストに白のシャツ。さながら執事のようだ。
下半身の魚体は腹側、背中側に2枚ずつの鰭に加えて尾鰭がある。
彼女の名はポラリス。現世で言う所のスケトウダラ人魚だ。

手にには古風なワインのような、白い瓶を持っている。
立ち泳ぎに近い姿勢で滑るように水中を移動するポラリスに合わせ、
周囲の透明な膜の形が先行するように変化していく。
二匹の肺呼吸の生物の目の前に、水の道が出来ていく。

ポラリスはソファの前までたどり着くと、
水と空間をすり抜けるように空気中へと上半身を出す。
ソファ横の乾いたサイドテーブルに2つ置かれていたワイングラスに、
透明な炭酸入りの飲料を手際よく注いで差し出す。

「どうぞ、海底特産のシースパークルでございます」

「ありがとうポラリス。これは絶品だ」

「にゃふふ、ありがとうございますにゃ」

ポラリスはシースパークルを渡しながら、
フェルの服がひどく濡れているのに気が付いた。

「・・・フェリエッタ様、お召し物が濡れておられるようですが」

「少し泳ぎたくなってね」

グラスを揺らし、シースパークルを味わいながら
フェルは顔色一つ変えずに言い放つ。

「ご主人様はアホですので、魚を見て樽から飛び込みました。
 水深50メーターの所で」

ルルも当然の如くに、己が主人を罵倒しながら
上品にグラスを持ち冷えたその飲料を飲む。
甘い香りと爽やかな味わいは、彼女も気に入っている。
味は現世のサイダー、ラムネにとても近いが、
ほんの少しアルコールが含まれており、
微かに塩味も隠れている。

それを聞いたフォッカは、丸眼鏡を指で押しながら水の壁から顔を出した。
遠目には小柄にすら見えるが、近くで見るととても大きい。
細身な女性のスケールをそのまま大きくしたような、
こちらが小人になったような迫力がある。
水滴を滴らせながら、まじまじとフォッカはフェルを眺める。

「・・・あらホントじゃない!! 流石フェルねぇ!!
 あっはははは!! 命知らずもいい所だわ!!」

石床に濡れた長い髪を広げ、仰け反るようにひとしきり笑い尽くし、
水中で泡を吐き尽くしてから仕切りなおすように眼鏡を押し上げる。

「全く、この猫ちゃん達いつ会っても面白いんだから!!
 ポラちゃーん、フェルに空気漬けの服を持ってきてあげて!!
 センスは任せるわ!! いいヤツを選んで頂戴ねぇ!!」

「かしこまりました、暫しお時間を」

ポラリスは一礼し、波も立てずに影の如く洞窟奥へと泳ぎ去る。
フォッカは指をぴらぴらと動かし見送ると、大胆に切り抜かれたドレスの
胸の谷間から、骨のようなデザインの煙管を取り出した。
先端には紫色の液体の小瓶と、貝殻で作られた逆止弁が付いている。
"水中煙管"、人魚の為の喫煙具だ。海水と混ぜた液体を深く吸い込み、
目を瞑り一拍溜め、肋骨下のエラから紫の煙のようにそれを吐き出す。

そして、ゆっくりと開いた両目には先程とは違う、
捕食者の鋭い眼光があった。声のトーンを落とし静かに問う。

「・・・それでぇ、何に"釣られた"のかしら?」

フォッカには全てお見通しだ。ゴルデリアの負傷も、フェルの反撃も。
飄々としているが、この海の底で誰よりも抜かりない。
フェルもシースパークルを一口含み、同じ目つきで双眸を開く。

「・・・海底渓谷の真上で、人間共がショッカーを使ってきた。
 御者狙いだ。勿論運任せのフッキングじゃない。
 恐らくカメラを使った。ソナーは聞いていない。」

「あらぁ? プラスチック箱入りのエラ無しちゃんが流れて来たの?
 あそこは私らが四方囲ってるから、入ってこれないはずよ?」

「"囲いの中に船ごと現れた"としたら?」

「ふふふぅ、海上にゲートって事? エラ無しテディちゃんに出来る芸当かしら?」

「・・・やれる連中なら知っている」

その時だった。水越しにも聞こえるほどに
バシャバシャと喧しい音が洞窟に響いた。
水の回廊を緑色の影が走り抜ける。何か大きな袋を担ぎながら。
水のフィルムを強引に突き抜け、石床の上に滑るように転がった。
影はすっと立ち上がり、悪ぶった少女の声が響き渡る。

「っっっと!! フォッカ姉ー!! さっそく侵犯連中沈めて来たぜ!!
 ・・・って悪ィ!! お客さんだったか!?」

「ぬっふふぅ!! ナイスタイミングよジャッキー♪
 丁度それの話をしてたとこ。こいつよね? フェルちゃん?」

「あれ? フェルじゃねーかよオイ!! 暫くだぜ!! ハァイ!!」

「ハイラァ、ジャクラータ"The Gunfish"(ザ・ガンフィッシュ)」

「あっ・・・ その名前で呼ばれるとな・・・ にへへ・・・」

「ハイラァ、ジャッキー。にゃっふふ、今日の獲物も爆破漁ですか?」

「あっルル!! ハイラァ!! 二人揃って珍しいじゃん、デート?」

「まあ、そんな所ですにゃあ。ご招待頂きましたので」

「アッハハァ!! とりあえずようこそ!! 会いたかったぜ!!」

ジャクラータと呼ばれた人魚、通称ジャッキーは水がないのも関わらず、
魚体で器用に跳ねるように二人に近づき、子供っぽく両名とハグをする。

見た目は金髪に青い魚体の美しい人魚だが、胴には弾薬を収める緑の戦闘用ベストに
頭にはベトナム戦争時代の米軍ヘルメット。大量の銃弾が並ぶバンダリアベルトを
肩からぶら下げ、腰には緑のジャケットをスカート代わりに巻いていた。
"ガンフィッシュ"、テッポウウオの異名の通り、ジャクラータは人魚でありながら
極度の銃器マニアだ。海底都市製の銃は好まず、現世の鹵獲品ばかり使用する。

彼女はひとしきりハイタッチして喜んだ後、フォッカに向き直る。

「フォッカ姉!! ここで獲物開けていいか!?」

「もっちろん、獲れたて見せて頂戴よ」

ジャクラータが得意気に折り畳みナイフを取り出し、担いできた大きな袋、
ビニールに巻かれた人型の何かの梱包を破る。その瞬間、新鮮な血の匂いが
洞窟の無味無臭の空気に鮮やかに広がった。
そこにあったのは、真っ赤に血濡れた人間の死体。
白い戦闘服と宇宙服の中間のような装備を身に着けているが、
頭部を保護するヘルメットは歪にひしゃげ、中の様子は血で溢れ視認できない。
それを見てジャクラータは驚き、少し申し訳なさそうな表情をする。

「ありゃ・・・ 死んでねーかこれ・・・?」

「あれぇ? 生きてたのこれ?」

「アタシが捕まえた時は生きてたんだ!!
 陸のヤツが付けるエラ付けてるだろこいつ!!
 活きが良いからそのまま縛って持って来たんだよ!!」

ルルは飲みかけのグラスを片手に、人らしき物体に近づく。
ちらりと装備を確認し、首の付け根部分を片手で触れる。
パチリ、パチリと2ヶ所の留め具を外し、2歩離れる。
その頭部を軽く蹴飛ばすと、隙間から血が噴き出してきた。

そして血が抜けて現れたのは、両目が飛び出し視神経を露出させ、
あらゆる穴から血を垂れ流し、舌を根本まで全て吐き出した世にも惨たらしい死体だった。
よく見れば頭部は歪み、脳や頭蓋骨の破片が露出している。
思わず片手で口を覆うジャクラータ、顔を水中から出し深呼吸するフォッカ、
シースパークルを一口飲みながら、しゃがんでそれに触れるルル。

「・・・死因は圧死ですにゃあ。
 そちらで言う所の"逆ポムグラネイト"です。
 こいつを何処から何秒で持ってきました?」

「なんでだよ!? こいつなんか潜れる服着てるんじゃねーのか!?」

フェリエッタがグラスを置いて立ち上がり、凄惨な死体に歩み寄る。
膝をつきしゃがむと、無言でドレスの後ろ腰から
小さな木柄のバタフライナイフを取り出した。
パタパタとそれを羽ばたかせるように振り回すと、湾曲した刃が現れる。
フェル愛用のフランベルジュ・バタフライだ。ルルの贈り物である。

胴体部を巻いているビニールを切断すると、鎧のような防護服が見えた。
しかしその胴の装甲部は、強く何かに押しつぶされたように変形している。
血で覆われた胸部装甲を指で拭う。そこには"NBC-HPS"との刻印があった。
"Nuclear Biological Chemical - Hazard Protection Suit"の略だ。

「・・・こいつは潜水服じゃない。陸上用の与圧防護服だ。
 どうやら我々と同じ空気を吸うのが嫌らしい」

「よあ・・・ 何なんだこれ?」

「危険な環境下で戦闘や作業を行う為の防護服だ。
 毒ガスや放射線、多少の浸水から身を守れるが、
 強い水圧や真空を想定していない。
 恐らく潜水による急激な圧力変化で空き缶のように潰された。
 そして中身もご覧の通り、という訳だ」

「なんだよ・・・ そうならそうだってどっかに書いとけ!!
 なァんでこれ着て海に来るんだよ!! 紛らわしいじゃんか!!
 知らねえで殺しちまったじゃねーかよバカヤローッ!!」

ジャクラータは悔しそうに、事故死させた死体を尾ひれで蹴飛ばす。
その拍子に高い音を立て何かが死体から転がり、ルルの足元で止まった。
くるりと身を翻し、尻尾に引っ掛けルルはそれを拾い上げて見る。
それは階級章、バッジのような金属製のプレートだった。
死体の男の身元と共に書かれていた「D.R.S.T.」の文字に、
ルルは強い嫌悪の表情を浮かべ、眉間に力を入れる。

「・・・科学馬鹿の遣いですよこいつは。何処で仕留めました?」

「えっとなぁ!! まずアタシが上で日課の日光浴を・・・」

ジャクラータの悪い癖が始まった。


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ルルとフェルが海底都市へ到着する30分前。
海底都市の真上。海溝から真上に伸びた切り立った岩場。
そこがジャクラータ、通称ジャッキーの見張り台だ。
彼女は海底都市の人魚の中で、トップクラスに体が強い。
急潜行、急浮上、水を使わずに6時間も呼吸が可能。
その為、海底都市自警団の即応要員として水上、水中両方を警備している。
もっとも一番の理由は"人間の持っている武器と装備が欲しい"だけなのだが。

岩場に置かれた年代物の防水ラジオから、古風なロックンロールが流れる。
その真横のビーチパラソルの下、ビーチチェアでサングラスをかけ、
現世のカクテルを飲みながら、ジャクラータはくつろぐ。
いかにも人魚らしい青の水着の上に、モスグリーンのミリタリージャケットを羽織る。
ラフなスタイルは、まるで休養中の女兵士のようだ。

「・・・my love darling, demon dancing with me〜♪」
(愛しい彼、悪魔はアタシと踊る)

お気に入りの曲を口ずさみながら、流れる雲を眺め、
時折吹くそよ風に長い金髪を揺らす。
人魚というより、リゾートを満喫する人間そのものだ。

「no one can take my voices, even a goddamn tragedy〜♪」
(誰もアタシの声は奪えない、例えクソッタレの悲劇ですら)

その時、そよ風に混じり微かにエンジンの音が聞こえてきた。
身を起こし、音の方向を睨みサングラスを額に押し上げる。
耳を澄ます。確かにエンジンの音だ。船外機、4ストローク式。
150馬力程度の音が2つ。ジャクラータは人間の発明品に詳しかった。
間違いなくネクロランドの船ではない。

傍らに置いていた軍用双眼鏡を手に取り覗き込む。
遥か遠くに、FRP製の白い船体が見えた。
力任せに白波を噴き上げ、全速力で何かから逃げている。
この位置から詳細は分からない。偵察しなくては。
首を左右に鳴らし、ミリタリージャケットをビーチチェアに脱ぎ捨てる。
筋肉質ながらも女性らしい体つき。金の長髪で隠れた背中には拳銃用のホルスター。
パラソルを畳み、ラジオを消す。
岩場を転がるように移動し、岩の潮溜まりに手を突っ込む。
その中から引き揚げたのは、一挺の銀色に光る拳銃。
旧ソビエト製の4連発水中拳銃、SPP-1だ。
銃身を折り曲げ装填を確認し、それを背中のホルスター収める。

「よっしゃ、可愛い人魚ちゃんゴッコ、いっちょやってやるか!!」

ジャクラータはサングラスを静かに岩場へ置くと、
魚そのものの動きで華麗に海へ飛び込んだ。


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「・・・こちらオスプ-1、緊急事態!! 繰り返す!! 緊急事態!!」

中央に屋根付きの操舵室を備えた白いFRP製船体の現代船の甲板上で、
白い装甲防護服に救命胴衣を纏った男が一人、
叫ぶように無線機に同じ言葉を繰り返す。

甲板後部には2基の船外機エンジン。
そのうち1基には深々と銀の杭が突き刺さり、
黒煙を噴き上げている。
船室から現れた同じ防護服と救命胴衣を纏った
もう一人の人間がエンジンに駆け寄り
必死にペンチで杭を抜こうともがいている。

甲板後部には、巨大魚を収めるための水が満たされた檻付きのイケスが開かれていて、
近くの船縁には発電機と、巨大な一本釣り漁用の巻取り装置。
その周囲はまだ乾ききらない鮮血が一面に広がっていた。
へし折られた木板のように毛羽だった大穴からは水が噴き出す。
甲板は数センチも浸水し、船の揺れに合わせ波打っている。

「緊急事態!! 本船は何等かの生物の襲撃を受けた!! 調査員一名死亡!!
 左舷後方が浸水し、左エンジンが故障している!!
 作戦継続は不能!! 撤退を要求する!! D.R.S.T本部、応答せよ!!」

「・・・こちら本部、状況を確認した。退却用ゲートを展開する。
 ETAは15分、回収地点はDB-68だ。それまで耐えてくれ」

「こちらオスプ-1、了解した!! 回収地点で待機する!!」

ザザッ。ノイズを句読点にして通信が途絶える。
防護服の男は、無線機のマイクを叩きつけるように戻した。

「クソッ!! 今回も空振りだ!! おまけに人員喪失まで出す有様とは・・・」

「命があっただけマシだろうが!! 次がある!!」

「次、だと・・・? こんな失態を犯しておいて、次などあるものか!!
 我々は"アノマリーM"の捕獲に失敗した!! 予算は打ち切りだ!!」

「貴様・・・!! 御伽噺の人魚なんぞを探しに、
 知覚異常空間に駆り出し、犠牲まで出しておいて・・・!!」

・・・船上で言い争う二人の人間の会話を、
ジャクラータは船艇に耳を当て聞いていた。
どうやら連中は、人魚の捕獲が目的のようだ。
ふと名案が頭を過る。

ジャクラータは軽く咳払いをすると、可能な限りの美声で
普段口ずさみもしない海底都市の人魚の歌を歌い出した。
その歌声は、船上の防護服二人を黙らせるには十分だった。

「おい!! 静かにしろ!! あの音は・・・」

「・・・"歌"か? ソナーを起動しろ!!」

「ソナー? 対象に警戒されるぞ!!」

「いいか? 我々にはあと10分しかない、最後の名誉挽回に手段を選ぶな!!」

コォォォォォン・・・!!

船底に耳を付けていたジャクラータが弾け飛ぶように離れる。
爆音に両耳がキンキンと耳鳴りし、軽い眩暈を起こす。
その魚影はソナーにもくっきりと写り込んでいた。

頭を振り体制を立て直す。好都合だ。
ジャクラータはあえて海面からジャンプし、
引き波を立たせながら見張り台へと人間が追える速度で泳ぐ。
装甲防護服の男達は、船上から指差してその姿に興奮する。

「おい・・・見ろ!! アノマリーMだ!!」

「追え!! エンジンが燃え尽きてもアレを捕獲しろ!!」

船外機から煙を噴き上げる白いボートが、全速力でジャクラータを追う。
そして見張り台の岩場へと近づいた所で、ジャクラータは急激に遊泳速度を上げた。
相手のボートも一直線に追ってくる。彼女は岩場に飛び上がると、
手際よく岩の隙間に隠していた防水弾薬箱から大きな何かを取り出す。
それを手元に置きなおすと、さも油断しているかのように岩に腰掛け、
また歌を歌い出す。

lala-lala... lada-da-lalala...

適当だが、バレはしないだろう。

・・・数分後、突然岩場から50m先の海上にバリバリと稲妻が迸り始めた。
稲妻は円形になり、その中から金属製の半円が出現する。
アーチの内部には、水面のように歪んだ別の空間が微かに映し出されている。

「うわ・・・ なんだアレ・・・?」

呆気に取られるジャクラータだったが、ふと先ほどの人間の会話を思い出す。
"ゲート"と呼ばれる何かを逃げるために要請した。それが到着する時間だ。
まるで何もわからないが、恐らくあれがゲートなのだろう。
ジャクラータは意識を今の任務に戻す。人間共のボートに対処しなくては。
相手は自分の事を何も知らない原生生物、少女の形をした魚だと思い込んでいる。
その読みは当たり、近づいてきたロボットのような人間達は目の前の存在に
言葉が理解できていない前提で何やら興奮していた。

「おお!! 見ろ!! 乳房があるぞ!! 雌の特徴だ!!」

「声が大きいぞ!! 警戒されて逃げられる・・・ 生殖器はあるか?」

「布で判別できないが、今は捕獲に集中しろ。生体検査はその後でいい」

思わず眉間にシワが寄りそうになるのを抑え、ジャクラータは擬態に集中する。
蠱惑的な身振りで、金髪を撫でながら胸に手を当て歌い続ける。

la-tatata-tata... lada-tatata...

「人魚の歌・・・ アノマリーMが発する特徴的な鳴き声だ」

「よし、同定は完了だ、捕獲に移るぞ・・・ ネットガンを使え」

二人の人間は一度船縁に身を隠すと、それぞれ手に白い大型の筒のような物体を持っていた。
銃口と引き金を備えた玩具のバズーカのようなもの。網を打ち出し捕獲する器具。
船はじりじりと彼女が座る岩場へと流れ寄り距離が詰まっていく。

ニヤリ、とジャクラータが素の攻撃的な表情を見せた。
瞬間、彼女は岩の隙間に隠していた本物の"バズーカ"、
正確にはRPG-7ロケットランチャーをおもむろに構え、そして。

バシュウウウウンッ!!!

凄まじいバックブラストと共にロケット弾頭が放たれ、ボートの頭上を飛び去る!!

ドカァァァァァァァン!!!

耳を劈く爆音と共に、ボートの奥に展開していたゲートに直撃した。
ゲートの先の何処かの世界は、けたたましい警報が鳴り響き炎上しているのが見える。
どうやらロケットは空間を超越し、向こうの世界で炸裂したらしい。
バチバチと火花が散り、空間の歪みが消えてゲートはただの鉄のアーチと化し、海に沈んでいく。
ネットガンを構えていた人間達は爆発音に驚き振り返ると、茫然と立ち尽くす。

「あ・・・ ああ・・・ 空間転移ドックが!!」

「何が・・・ 何が起こった!?」

ジャクラータは予備の弾頭を素早くRPG-7に再装填し、
更に軍用ジャケットにヘルメットを被りいつものスタイルを取る。
そして決めの一言。

「ハイラァ!! ファッキン人間野郎共ォ!! こっち見ろエラ無し!!」

振り返った装甲防護服のヘルメットに、先ほどまで無力で無知な動物だと油断していた存在が
粗暴な口調で叫びながらロケットランチャーを構えているのが映り込む。

「・・・っ!? そんな・・・馬鹿な!! あんな知能があるはずが・・・!?」

「逃げろ!! 逃げろォォォッ!!!」

左に立つの防護服の男がネットガンを投げ捨て海に飛び込む。
もう一人の男は立ち尽くすのみ。ジャクラータは容赦なく、
白い船体の中央に照準を定め、トリガーを引いた!!

バシュウウウウンッ!!!

ドカァァァァァァァン!!!

海上に爆炎が迸る。粉々に爆発したボートから、バラバラと破片が降り注ぐ。
立ち尽くしていた男は装甲防護服ごと半身が千切れ飛び、
火達磨になった上半身が空高く打ち上げられ海面に水飛沫を上げ落下した。

命からがら飛び込み、泳ぎ去ろうとした男は爆発で発生した大波に揉まれ、
堪らず膨張式救命胴衣の紐を引いてどうにか海面に留まろうとする。
ジャクラータは素早く海に飛び込むと、その浮かぶ男を鷲掴みにした。
パニックを起こしもがく防護服のヘルメットに、戦闘狂の人魚の顔が映る。

「おっしゃあ捕まえた!! おマヌケクソ野郎一名様、地獄へご招待!!
 神サンにでも祈んなァ!! そんなモン信じてんならなぁ!!」

装甲防護服の足を片腕で捕まえたまま、ジャクラータは10メーターほどジャンプし、
その勢いで一気に60メーターの海底に潜行していく。

悲鳴と絶叫、断末魔を上げ、バキバキという異音を出し、
水圧に負け潰れてゆく装甲服に生きたまま五臓六腑を押しつぶされ、
目玉を飛び出して惨たらしく死んでいく最中の男に、
ジャクラータは気づく由もなかった。


--------------------------------------------


「・・・って訳で、アタシはこいつらを殺って来たんだよ!!」

ジャクラータの悪癖、一語一句逃さぬ武勇伝語り。
フェリエッタ以外の全員が飽きていた。

彼は既に黒いシンプルなゴシックドレスに着替え終わり、
ポラリスはフェルの着ていた濡れたドレスの水を絞り、
替えの"空気漬けドレス"を入れてきた防水箱に
着てきた濡れた方を丁寧に仕舞っている。

2杯目のシースパークルを飲み干したルル、控え目に拍手するフォッカ。
脇の水底で腹を出して完全に眠りこけているテトロ。
その中でフェルだけが終始真面目な顔でそれを聞いていた。

「ゲートを先に撃ったのは良い判断だ。
 奴らは現世に繋がるゲートドックを破壊され、
 暫くは増援も来ない。お見事だ」

「へ・・・えへへ!! まあアタシにかかりゃあな!!」

ジャクラータは頭を掻きながら答える。
"初弾を外した"とは言い出せなかった。
水中の玉座のようなテーブルサンゴに腰掛けるフォッカは、
せり出したサンゴに頬杖を突きながら興味深げに邪悪な笑みを浮かべている。

「なるほどねぇ、海上にゲートが出たってやつ、本当だったのねぇ。
 それで・・・ そのテディちゃん達ってこっちに何の用なのかしら?」

フェリエッタはルルに目配せをする。
ルルは無言で握っていた死体の遺品をフェルに投げ渡す。
受け取ったフェルはそれをフォッカに見せる。

「奴らは"D.R.S.T."。
 Dimension Reserch Science Team
 (ディメンション・リサーチ・サイエンス・チーム)
 熱心な科学者の集団だ。
 目的は異常現象が発生している他時空の調査」

「異常って何かしら? ここは真っ当に平和よ?」

「我々の存在そのものの事だ。向こうの世界には、
 不死身の生物も、動く屍者も、話す海の生物もいない。
 それら全てを異常な存在と定義し、調査を試みている」

「随分と無知で熱心なのねぇ。でも知りたいのは良い事じゃないの?
 探求欲と研究心なら、私だって負けちゃいないはずよ?」

「連中は手段を選ばず、我々と対話はしない。
 簡単に死ぬ二本足の生物以外、全てが実験動物だ。
 奴らは我々の仲間を捕らえ、拷問し、
 そして無期限で向こうの世界に閉じ込める」

その脇で腕を組んでいたルルが、空のワイングラスを持ち歩み出る。

「連中の失礼さは保証しますよ。
 考えうる最悪の無礼さと失敬さで、
 害虫よりもだいぶ不愉快な奴らですにゃ。
 生かす価値などありませんね」

ルルは死体の側に寄ると、その胸部に踵を振り下ろす。
ビチャリ。飛び出した血液をワイングラスで受け、それを口に含む。
うがいをするように口の中で空気を含ませ、音を立てて啜る。
鉄の香りを口いっぱいに広げ、そしてゴクリと飲み込む。

「・・・30年モノって所でしょうかにゃあ」

「くふふぅ、いいわねぇ。私も一口貰おうかしら?」

半分ほど飲んだ血のワイングラスを、ルルはフォッカに差し出す。
水の壁から顔と片手を出し、フォッカはそれを一気に飲む。
恍惚の表情を浮かべ、ノコギリ歯を見せベロリと唇を舐めまわす。
水中に見える肋骨下のエラからふわりと血が漂っていく。
そのまま水中に引き込んだワイングラスをくるくると弄び、
残った血を洗い流す。すかさずポラリスがそのグラスを下げる。

「でも困ったわねぇ、この時期に人間が罠を垂らしたら、
 舞踏会の安全を保証できないわぁ。警備は2倍にするけど、
 突然真上にテディちゃんが現れるのは厄介よねぇ」

「フォッカ、良いアイデアがある。しかし許可を貰いたい」

「なぁにフェル? 許可なんてお堅いの、私のガラじゃないわ」

「二人適任を知っている。彼女らに一筆免状を出してもらいたい。
 期限付きで構わない。"私掠免許証"というヤツだ」

「私掠免許・・・ え、まさかスワッシャとトパス?」

「そのまさかだ」

フォッカは思わず口元を抑え笑い出し、無表情なポラリスも笑いを堪えている。
ジャクラータは呆気に取られた顔をし、ルルは音が鳴る程勢い良く額に手を当てた。

カサゴの人魚であり屍者のキャプテン・スワッシャ。その親友のタコ人魚のトパス。
ネクロランド海岸沿いに現れては、自らを海賊と名乗り下らない遊びに誘う。
粗雑な筏に住人を乗せて誘拐の真似事をする。日が沈むと住人を下ろして帰る。

価値あるものも無いものも、様々な海の拾い物をお宝の分け前だと誰にでも与え、
遊覧船のように海上を観光させてくれる事から住人からは概ね好評だが、
所詮は幼い化物少女2人の海賊ごっこに過ぎない。
スワッシャは酒浸りな上、体が腐敗していてお世辞にも香りがいいとは言えない。
トパスもかなり抜けていて、ルルの手にかかれば幾らでも欺ける。
何を考えているのだろうかこの馬鹿主人は。ルルは頭を抱える。

「くっひひひひぃ・・・ あの子らは海賊ごっこよ?
 言うのは悪いけどねぇ・・・ 強いとは言えないわ。
 元気だし、とっても可愛いのはよく解るけど・・・」

「ああ。だが彼女らは本気だ。自分達が弱いのも熟知している。
 だからこそ正面から仕掛けない。忍び込むのが得意なら、
 忍び込む者を見つけるのも得意だ。彼女らに舞踏会終了までの期間、
 ネクロランドとデプス・シティ船籍以外のあらゆる船舶に対する
 略奪許可証を発行して貰いたい。明日私が二人に交渉する。
 断りはしない筈だ。二人の海賊ごっこにはよく付き合っている」

フォッカは少しだけ真顔で考えた後、ニヤリと口を裂いて微笑む。

「・・・ふふ、あっははははァ!!
 やーっぱ最高よ!! 最高に面白いじゃないの!!
 仕上げておくから、出来次第ポラちゃんがプレガトリオに届けるわ。
 ふっかふかに乾いたあなたのお洋服と一緒にね」

「ありがとう、フォッカ」

「他に何か欲しいのはある? ルルも遠慮しないで言っちゃって!!」

「にゃふふっ、お心遣いだけで十分ですにゃ。
 "熟成ロゼ"も頂きましたしにゃあ」

丁寧に断るルルの隣でフェルがもう一つ、と指を立てる。

「良ければガンフィッシュに頼みだ」

「んあ!? アタシに出来る事なら・・・」

「私の銃も一緒に海で泳いでしまってね。
 真水とガンオイル、出来れば道具を借りたい」

「へへっ!! お安い御用だ!! 整備道具一式を
 プレガに届けっから、そっちで待ってな!!
 アタシのコレクションも見せてやるよ!!
 あ・・・ そうだ、良かったら整備をちょいと教えてくれ!!
 こっちにもちょいと壊れちまった銃があってな・・・」

「ついでに直すとしよう。感謝する。我々は向こうで待つとするか」

フォッカはいつのまにか玉座まで転がってきた、
腹を出して爆睡するテトロを指で優しくつついて起こす。
目覚めたテトロは大あくびをしながら、海底馬車乗り場への道を先導する。
陸と海の両者は空気と水の中で、それぞれ丁寧にお辞儀を交わす。

「じゃあまた後でねぇ♪ そろそろお昼だから、期待しちゃっていいわよー!!」

ルルとフェルの二人はまた海底馬車へと戻る。
次の行先は沈没船プレガトリオ号。この世界の最高級ホテルだ。


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※この小説は現在未完結で、執筆途中です。
 更新がありましたらトップにて告知致します。









※ この小説は、作者の明晰夢を元に再現したフィクションです。








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