FORGOTTEN NIGHTMARE



Forgotten Nightmare 2019/12/19
"Dry Range Cascade"


NORMAL MODE





ザアアアアアアア・・・
草木の深い緑から覗く岩の白灰色が映える、自然の風景に小さな滝の水音が響き続ける。ここはヨーロッパの片田舎の山奥。200mほど離れた眼下には舗装された道路が真横に見え、それを挟んだ対岸には一軒の古びた雑貨店。20台ほど車が停まれそうな駐車場にはボロボロのトラックが一台のみ。それを捉えるは十字が切られた円形の単眼鏡。
レミントンM700。7.62mm仕様。反射防止フィルター付き6〜24倍率のスコープ。バイポッドを装備したマットブラックの樹脂製ストック。所謂スナイパーライフルだ。それを伏射の姿勢で構え続ける、タクティカルベストに黒ずくめの戦闘服の男。彼の通り名は「カスケード」。非合法の依頼を専門に受け持つ暗殺者、殺し屋だ。
事の起こりは2週間前。裏社会では名の知れたとある犯罪組織からの依頼だった。ある一人の危険人物を排除して欲しいと。報酬は十分すぎるほどの高額。そしてターゲットは・・・若い女性だった。素性は一切不明。情報では幾度となく組織どころか裏社会全体に及ぶダメージを及ぼし続ける、戦闘のプロだという事。そしてその名は「ルル・ホワイトハート」だと言う事。解っている情報はそれだけだった。
情報屋から、ルル・ホワイトハートは白銀色の髪をした20代前後の女性で、時々この雑貨屋へ青に白色のクラシックカー、ミニクーパーで昼過ぎに買い物に訪れるという情報を買った。そして1週間、該当の時間を張り込み続けているという訳だ。この程度、カスケードには何の苦労にもならない。彼は極寒のカムチャツカで3週間ターゲットを待ち続けた事すらもある。お安いご用だ。
滝の音に混じり、独特のエンジン音が聞こえてきた。丸みを帯びたシルエットの小型車。ミニクーパーが道路の左から雑貨屋へと走ってきた。窓にスコープを向け確認する。運転席には・・・白銀髪の女性。間違いない。あの女だ。カスケードはにやりと笑う。最早仕事は終わったも同然。だが念には念を入れ、撃つタイミングを伺う。走行中の車を狙うのは無謀だ。車を降りて店へ入るタイミングだと悪くはないが、身軽ゆえに外した場合逃げられる可能性がある。最大の好機、それは買い物を終え、荷物を両手に持った状態で車へ戻る瞬間だ。重いものを持てば必然的に最短ルートを人間は通る。一歩先に照準を置いて、ゆっくり引き金を引けば良い。あとは平然と乗ってきた自動車で帰れば、仕事は終了だ。
車は駐車場に停まり、ドアを開けターゲットが降りてくる。一瞬、ふと周りを見渡すような動作をする。周囲を常に警戒しているようだ。殺し屋同士、プロだとすれば当然。何もおかしな所はない。後姿が雑貨店の入り口に消える。この瞬間を狙うのも良かったが、カスケードは慎重だった。銃弾が入り口のガラス戸を突き破ってしまえば、必ず店主がすぐに通報するだろう。逃走時間が一気に短くなる。逆に駐車場のど真ん中で撃てば、上手くやれば閉店時間まで時間を稼げる可能性もある。あの店の中は下見をしてある。入り口すぐ左にカウンター。店には老齢の男が一人だけ。護身用に狩猟用の二連式散弾銃が一つ。彼は耳が遠い。銃声は聞き取れないだろう。スコープで車を確認する。少し車高が高い。タイヤは悪路対応。恐らくノーパンクタイヤだろう。ボンネットに吸気口。エンジンを改造している可能性が高い。恐らく防弾となっている。となれば、車に当った弾はどこにも貫通しない。ならば最も良いタイミングは、ターゲットが車に乗ろうと店からの死角に入った瞬間だ。
・・・30分も経たないうちに、ターゲットは店から出てきた。両手に紙袋。林檎や小麦粉の袋が見える。やはり動きが遅い。予想通り最短距離で真っ直ぐに車へと向かってくる。
カチャッ、カコッ。
ボルトを前後させ、薬室に銃弾を装填する。獲物の少し先に照準を合わせ・・・

ちらり。

・・・!?

カスケードの心臓が凍りつく。ターゲットがこちらを"見た"気がした。スコープ越しに視線が合った。こんな事は有り得ない。こちらの位置がバレていなければ、まず"見られる"事など有り得ないはずなのだ。
「・・・チッ!!」
舌打ちで動揺をかき消した。そしてトリガーを引き絞り・・・

ズダアァァァン!!

一拍置いて。

ビスッ!!

強い手応えがあった。少量の血飛沫が車の青色に朱を染める。両手に抱えた紙袋が落下し、中から林檎や缶詰が転がり出す。
殺った。7.62mmの強力なFMJ弾が彼女の心臓に風穴を開けた。依頼は成功だ。カスケードは素早くスコープを銃から取り外す。姿勢安定用の2脚、バイポッドを畳み、ライフルをケースに詰め直そうとする。その時、ふとターゲットの死体を遠目に見ようとした。

・・・ない。

カスケードは眼を疑い、すぐに傍らに置いていた軍用双眼鏡で確認する。・・・死体がない!! 先程確かに射殺したはずのターゲット、ルル・ホワイトハートの姿が、そこにない。
あるのは血痕と、地面に転がった紙袋とその中身のみ。すぐにライフルを再び取り出してスコープを装着しようとする。その瞬間、彼女が乗ってきた車がけたたましいエンジン音を上げ、タイヤを空転させながら急発進した。カスケードは焦る。確かに心臓に銃弾は命中したはずだ。しかしこの瞬間、即死させたはずのダーゲットは確かに逃走しようとしている。迷いは後だ。理由はわからないが、今はもう一発あの女に銃弾を撃ち込まなければ。組み立て直したライフルを再び置き、標的を照準に捉えようと車の運転席に十字を合わせる。しかしターゲットの姿は見えない。かろうじて指が見えた。頭を完全に座席の下に隠したまま運転している!! カスケードは堅実な殺し屋だ。100%命中するタイミング以外では決して発砲しない。しかし今は・・・撃つしかない。

ズダアァァン!!

バリッ!!

銃弾は貫通せず、窓ガラスにめり込んで止まった。やはりあの車は防弾仕様だ。このままでは逃走され、依頼は失敗に終わる。ミスの許されない裏社会だ。ここで逃走されれば逆に依頼主である犯罪組織からも狙われかねない。カスケードは嵩張り、連射のきかないライフルをその場に残し、背後に隠していたオフロード仕様のバイクで追撃しようと考えた。予備の武器には消音器とロングマガジン、ドットサイトを装備したフルオート改造仕様のグロック17Lを所持している。拳銃ではあるが、その火力は並の短機関銃を凌駕する。しかし、その考えはすぐに打ち砕かれる。
・・・エンジン音が迫ってきている!! ターゲットは悪路をあの車で突っ切り、こちらに近接攻撃を仕掛けるつもりでいる!! 車は山道のでこぼこの死角から死角へと縫うように移動し、射線と照準をかわし続ける。残りの距離は120mもない。「クソッ!! 何なんだ!!」カスケードは奥の手を使う事にした。

ライフルを残してバイクのサイドパックから小型のリモコン爆弾を取り出してライフルの傍に設置する。匍匐前進で近くの岩陰へと這い進み身を隠す。どんどんエンジン音が近くなる。見た目によらずに悪路での走破性が極めて強い車だ。そして、車はそのままライフルの置かれた場所に突っ込んだ。もしもカスケードがそのまま射撃を続けていたら、轢き潰されていただろう。まんまと引っかかった。つい笑みを零すカスケード。そしてリモコンのスイッチを入れた。耳を劈く爆発音が轟いた。車は大きく吹き飛ばされ、ゴロゴロと転がっていく。並の車なら粉々に爆発炎上するはずだが、大した損傷を与えられない。車は3、4回転して横転して停止する。カスケードは脇のホルスターから改造されたグロック17Lを取り出し、横転した車に近づいて覗き込む。開け放たれた助手席のドア。中にターゲットの姿は・・・ない!!
横転したミニクーパーの車体下側を背にしてカスケードは辺りを警戒した。銃を左右に向け、岩陰に眼を凝らす。その時、グラリと背中に違和感が走った。察して車から背を離し、ゴロンと前転して素早く振り向いた。
ズシャアァン!!
・・・予想通り、車が倒れてきた。自然に倒れたのではない。
その車の陰に見えたものは・・・

「にゃふふ・・・ 流石は殺し屋と言った所ですね・・・ 狩猟本能を感じますよ・・・!!」

ルル・ホワイトハートだった。左手で胸を押さえ、右手には銀色に光る彫刻入りの拳銃、コルトM1903"ポケットハンマーレス"、.32口径。刹那の沈黙。そして。
バラララッ!! ダァン!! ダァン!! バラララッ!!!
カスケードの改造グロック17L、ルルのコルト.32オートが車のボンネットを挟み火を噴いた!! 互いに射撃は正確、しかしすぐに両者ともボンネットを盾にしてカバーを取り、相手の銃火をかわし、銃だけを出して撃つ。
バラララララァ!! ダンダンダアァン!!
両者、片手で銃を頭上に掲げるようにして相手へ向けて発砲し続ける。カスケードのグロック17Lのスライドがガキンと後退して止まる。ルルのコルト.32もカチリと弾切れの空撃ち音を零す。両者、再装填している時間はない。互いに車を蹴って飛び退き、くるりと立ち上がり弾切れの銃を向け合って威嚇する。
「・・・貴方は弾切れですよ。スライドがそれを知らせてます」
「・・・そういうお前も弾切れだ。8発数えたぜ」
「にゃふふっ、よくぞご存知で・・・」

両者、銃を小脇に放り投げる。そしてカスケードは艶消し塗装のされた特殊部隊用のコンバットナイフを抜いた。ルルは前屈みで息を切らしている。
「一つ教えてくれ、どうやってあの狙撃をかわした?」
カスケードはルルを警戒しながら距離を保ち、尋ねる。ルルは肩で息をしながら、血に染まった手を胸からどける。そこには向こうが見えるほどの風穴が開いていた。
「いいえ、当たってますよ。上手いものですね、ご主人様より上じゃないですか?」
カスケードはその光景に愕然とした。心臓に風穴の開いた女が目の前で立って、ジョークを飛ばしている。こんな事はありえない。そもそも彼女の存在自体に疑問が沸く。あの巨大な耳は何だ? 背中で蠢くものは尻尾か? カスケードは悟った。コイツは人間ではない。バケモノだ。後ずさりして更に深く構える。
「成る程。組織の連中があれ程の報酬を前払いする訳だ。不死身って訳かい、お嬢さん」
ゆらり、ゆらり。カスケードは次の行動を読ませぬ為、ナイフを正構え、逆手構えと変化させながら、ゆるやかに構えから別の構えへと踊るようにして獣のように警戒し続ける。ルルはカスケードの言葉に笑みを零す。
「にゃふふふ・・・気に入りましたよ貴方。名前は?」
「・・・今から"殺す"相手に名前を教える必要はねえ」
「そこが問題じゃないですかにゃあ? 癖でそれを引き抜いたんでしょうけど、肋骨下から心臓への一突き以外の策がどれだけ貴方にあります? もう破れた心臓にもう一突き、なんて馬鹿な事以外に」
ハッ、とした。図星だった。至近距離で弾が互いに切れた。通常なら元特殊部隊隊員のカスケードにナイフファイトで勝てる相手はいない。相手の突きをあえて待ち、その腕に組み付き関節を決める。そしてガラ開きになった脇腹へ一突き。それがカスケードの得意とするパターン。いつもなら一撃だ。
しかし、予想外の事態が起きた。もう相手には狙える心臓がない。一体どこを狙えば良いのか、カスケードは全力で思考を巡らせる。ルルは止血する左手をゆっくりと下ろすと、真っ赤に血に染まった銀のコルセットから彫刻入りのコンバットナイフを抜いた。銀色に光る刃先、革巻きの握り。対照的なナイフ。それをルルは自分の首筋に当て、トントンと叩く。
「お察しの通り、私は不死身です。しかし首を切断されれば流石の私と言えども一時的に死亡します。・・・ここですよ? ここ。」
「・・・敵に急所を教えるか、プロらしくねえ」
「にゃふふ、私はただ愉しみたいだけですよ、さあ、どうぞ遠慮なく」
ルルはプロペラのようにナイフを回す。逆手に握った状態でピタリと止める。そして深々とお辞儀をして、顔を上げ真っ直ぐにカスケードの眼を見た。

「Shall We Dance?」(踊りましょう?)

刹那。ルルは砂埃を上げて地面を蹴り、銃弾の如くスピードでカスケードに距離を詰める。
プロ同士のナイフファイトにおいて、先手を仕掛けるのは悪手他ならない。太刀筋を読まれ反撃に遭うからだ。しかしルルは・・・速過ぎる!! バックステップで距離を取ろうとするカスケードを意もせずに間合いに収める。右手下からの逆手斬り上げ。カスケードはそれをギリギリ仰け反ってかわす。
ルルを真横に捉えたカスケードはすぐにその左手を取り、関節を決める。足払いが来る。それを封じるようにルルの左足を踏みつける。がら空きの背中。狙うは右の腎臓。渾身の力を込め突きをねじり込む。しかし。

ガキィン!!

・・・刃は何か金属に阻まれて止まった。しまった、そう思う間もなくカスケードの身体は宙を舞った。ルルは踏まれた逆の足を器用にひっかけるようにして曲芸的な足払いを繰り出したのだ。カスケードは掴んでいたルルの左手を軸にしてぐるりと鉄棒のように一回転し着地、すぐさま転がって距離を取る。ルルは見返ってカスケードが刺した場所を見る。コルセットにナイフが突き刺さっている。
「いきなり腎臓狙いとは。ますます気に入りましたよ貴方。でも残念でしたね」
ルルは自分のコルセットをナイフの底で叩く。軽い金属音がした。
「これは単なる飾りじゃないんですよ。鉄板入り、耐弾防刃です。」
そう言うとルルはコルセットからカスケードのナイフを引き抜くと、自らコルセットの紐をそれで切って地面に投げ捨てた。ガシャン、と重い音がする。
「貴方に二度同じ手は通じそうにありませんから、これはもういりませんね」
ルルはナイフをカスケードの足元へ放る。カスケードはそれを拾うと、自らもタクティカルベストを脱ぎ捨てた。
「・・・余裕って訳かい、お嬢ちゃん。気に入らねえ。」
「にゃふふ、よく言われますにゃ」
間髪入れずに再びルルが突進する。上手に振り上げて構え、斬り下ろす。カスケードはそれを半身でかわし横にナイフを薙ぐ。ルルはそれを大きく仰け反ってバク転し、振り上げた足で二連キックを繰り出す。カスケードは左腕でそれを受け、距離を取る。ルルは前傾姿勢で突進、正構えにナイフを持ち替え腕を伸ばし全身で突きを繰り出した。カスケードの頬をルルの彫刻入りナイフがかすめる。どうにか中腰で回避し、その伸びきった腕を取りカスケードはルルを背負い投げした。ぐるり。空中で身を捩らせてルルは膝を着いて着地する。その一瞬をカスケードが狙った。大きく飛び上がり、両手でナイフを逆手に握り全体重をかけルルの頭を上から串刺しにしようとする。ルルは尻餅をつくように地面に倒れる。殺った。カスケードは確信した。しかし。

ガキイィィィン!!!

・・・ナイフとナイフがかち合う音。ルルは突きを繰り出していた。そしてその突きは、振り下ろしたナイフの刃先同士、僅か数ミリの接点で神業的なバランスで当っていた。カタカタカタカタ・・・
互いに込める力と力同士を完璧に釣り合わせ、ルルは刃先同士でそれを受け続けたままゆらりと立ち上がる。カスケードは驚愕を隠せない。こんな芸当ができてたまるものか。手負いの女一人に。ルルはバランスを保ったままそのナイフを嘲るようにぐりぐりと回し始める。
「にゃふふふふ・・・このまま日が暮れるまでやりましょうか?」
カスケードは自らの手から力が抜け始めているのに気がついた。この不自然なバランスでナイフをずらせば、確実にバネのように飛び出した力で串刺しにされる。単なる挑発ではない、ルルの狙いは相手の握力の消耗だった。
「クソ・・・!!!」
カスケードは思わず悪態をつく。何か策はないか。目の前の"敵"を凝視する。自分よりも頭二つも小さな相手。少女と呼ぶに相応しい体格。にやけた口からはポタポタと吐血している。そして胸元の風穴は・・・塞がりかけている!! 原理はわからないが、これがその不死身の理由だろう。意を決したカスケードは、ナイフを握る手を離した。ザクッッ!! そのままルルのナイフが右手上腕を貫通した。予想外の動きにルルは少しだけ眼を見開く。そしてカスケードは右腕を犠牲にして、ルルの胸元の風穴に抜き手を突き刺した!!

グシャアァッ!!

「み゛ゃっ!?」

肉を切らせて骨を絶つ。相手の弱った所を見逃さぬ殺し屋の眼は確かだった。ルルは不死身だ。しかしそれは桁外れの治癒力の賜物にすぎない。カスケードの左手は塞がりかけたルルの心臓をがっしりと握り締めた。苦痛の絶叫をルルが上げている。効いている。このまま握りつぶして引き抜いてやる。

「みぎゃあああぁぁッ!! ・・・ッギシャアァァァァァ!!!」

ルルのその悲鳴が咆哮に変わる!! 瞬間。

グチャア!!!

「ッアグアアアァァァァッ!!!」

今度はカスケードが悲鳴を上げた。ルルの左親指がカスケードの右眼に食い込んでいた。あまりの激痛に心臓を掴む手から力が抜ける。突き飛ばし距離を取る。ルルの心臓は胸から半分ほど飛び出て脈打っている。カスケードは右眼を完全に潰され、ボタボタと血涙を流している。互いに激痛に肩を震わせ、かろうじて立っている。ルルががくりと膝を着いた。失血しながらの戦闘で遂に限界が来た。カスケードも眼を潰された痛みで膝を着く。ふと、カスケードは右眼を押さえる自らの右手に、ルルのナイフが突き刺さったままなのに気がついた。残った左眼でルルを見る。

「はあっ・・・ はあっ・・・ にひひ・・・」

頭を項垂れながら、上目遣いでカスケードを見て吐血しながらもまだ笑っている。しかし、攻撃をかわす余裕はないようだ。両手で心臓を戻そうとしているが、力が入らないのか手が震えている。好機。これしかない。カスケードは力任せに刺さったナイフを引き抜き、刃の部分をつまむとルルの喉笛めがけナイフを渾身の力で投擲した!!
鮮やかに弧を描きながらルルの首筋にナイフが飛翔する!!
そして―

グシャアアァッ!!!

鮮血が迸った。遂に。殺った。ナイフは首元にある。ダラダラと大量の血が流れ出る。・・・しかし、倒れない。跪いたまま微動だにしない。そして、奇妙な声で笑い出した。

「はふっ・・・ はふっ・・・ ひひひひひ!!!」

カスケードは霞む左眼を凝らす。よく見ると・・・首にナイフが届いていない。ナイフは、ルルの垂らした「舌」に突き刺さって首に食い込む寸前で止まっていた。ルルはナイフが投擲される瞬間、回避出来ない事を悟るとその長い舌を伸ばし、首への直撃を防いでいた。



カラン。ルルの膝元にナイフが落ちる。ルルにはもうそれを拾い上げる体力はない。
「はあっ、はあっ・・・にゃっひひひひ!!! よくやりますね!!! 上出来ですよ・・・!!!」
黒いドレスを真っ赤に染め上げながら、ルルはカスケードを賞賛するように笑う。
「逃げてくださいよ、殺し屋さん。今の私にはもう追う余力はありません。"狩るもの"同士、十分に愉しみましたから・・・」
カスケードはその言葉に戸惑った。確かにこのまま戦闘を続けてもこのバケモノを倒す事は難しいだろう。右腕と右眼を潰され、このままでは失血死してしまう。ここでバイクに乗って逃げれば生き残れる。しかし、カスケードは殺戮本能に抗えなかった。あの頭に33発の9mm弾を撃ち込めば・・・!!!
カスケードは車の脇に放り投げた自らの改造グロックに飛びつくように拾い上げた。震える右手で銃を握り、空の弾倉を落とし、腰から予備の33連弾倉を抜き取って銃に叩き込む。膝をつき、震える右手から左手に持ち替える。血で手が滑る。跪いたままのルルの頭に照準を合わせる!!それを見て、ルルは・・・

「・・・馬鹿ですにゃあ」

血混じりの溜息を吐きながら、笑った。

バラララララララララララァァッ!!!

・・・けたたましいフルオートの銃声が乾いた山肌に響き渡る。
ドチャアッ。血溜まりに身体が倒れる音がした。死んだのは。倒れたのは。

・・・カスケードの方だった。左手でトリガーを引いたまま、仰向けに斃れ死した。額には深々と、スペード型の小型ナイフが突き刺さっている。ルルは左手で心臓を押さえたまま、右手をカスケードに向けていた。カスケードが撃とうとした瞬間、ルルはチョーカーの後ろに仕込んだ隠し投擲ナイフをカスケードに投げていた。こうして勝負は決した・・・。

ルルは飛び出した心臓をぐっと自らの胸に押し込むと、足元の自分のナイフを拾い上げてカスケードの死体に歩み寄る。額に突き刺さったナイフを引き抜き、カスケードの死体の耳元で囁く。
「・・・にゃふふふっ、最期まで素敵でしたよ。名も知らぬ方。」
そして、眼を見開いた死体の頬にキスをした。立ち上がって数歩歩き、振り返ってお辞儀をする。戦闘中に捨てたコルセットを拾い、その内側に自らのナイフを納める。半壊の愛車に向かい、近くに転がる銀色のコルト.32も同じようにコルセットへ収める。車のドアを開け、助手席にコルセットを放り、エンジンをかけようと試みる。
ギャギャギュギュギュ・・・
ダメージのせいかかかりが悪い。数度試し、車は息を吹き返した。
・・・オーディオからはジャズワルツが流れ出す。小さな滝の音が響き渡る。先程までの血で血を洗う殺し合いなど露知らず、乾いたヨーロッパの風景には、また自然の静寂が戻っていた。

END












※ この小説は、作者の明晰夢を元に再現したフィクションです。








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